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備中街道
【びっちゅうかいどう】


広島―可部―吉田―三次(みよし)―庄原―東城を経て備中国(岡山県)と結ぶ街道。江戸期に東城が広島藩の出入口であったため,番所が国境に置かれていた。当道は広島~三次間を雲石路(赤名越)と併用し,庄原で西城経由の伯耆路(多里越)を分岐する。庄原から中山峠を越えて帝釈経由で東城に結ばれるが,「旧県史」1は,庄原から未渡経由で東城への旧道のあったことを記載している。国境の二本松峠は現在も残り,番所跡がある。明治40年6月,若山牧水は徒歩で新見からこの道を広島県に入り宮島に向かった。「幾山河こえさりゆかば淋しさのはてなん国ぞ今日も旅ゆく」は二本松峠を過ぎて備後国に入り,付近の茶屋に泊しての歌という。後年,夫人の喜志子も当地を訪れ追歌し,その歌碑がたつ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190591