古吉津町
【ふるよしづまち】

旧国名:備後
(近世~近代)江戸期~昭和40年の町名。江戸期は福山城下の町人屋敷地。福山城の北東,吉津川左岸,北は寺屋敷地,東は吉津町。町名は,吉津村地内にもっともはやく成立した町であることに由来する。「備陽六郡志」によれば,町の規模は252間余・2,740坪余,戸数195(本家39・表借家33・裏借家123)。「福山志料」では長さ252間余,戸数175・人数460。地内の北隣には胎蔵寺・妙政寺などがある。明治21年の戸数145・人口503。同22年福山町,大正5年福山市の町名となる。昭和40年吉津町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7190784 |





