米山寺
【べいさんじ】

三原市沼田東町納所米山にある寺。曹洞宗。山号は東盧山。本尊は華厳釈迦如来。沼田川南の谷奥に所在し,山号はこの地の地勢が,中国の盧山に似ていることから新盧山と付し,寺号の米山は盧山の別称に因むという(三原廻)。仁平3年誓願が開創した天台宗寺院で,嘉禎元年小早川茂平が,鎌倉3代の将軍の菩提を弔うため,不断念仏堂として再興(米山寺由緒)。同4年茂平は仏餉灯油料・修理田として,沼田荘内塩入荒野の開発を認められている(小早川家文書)。延文2年小早川宣平の七男応庵祖璿が入寺中興した際,臨済宗に改宗。中興以後6代まで小早川氏出身の住持が続き(米山寺由緒),一族団結の拠点となる氏寺としての性格を強める。天正4年小早川隆景が堂宇を再建し,現寺号へ改称。寺領は180石でのち毛利輝元から50石の加増をうけたという(三原廻・米山寺由緒)。慶長5年毛利氏の防長移封で,福島正則が入国すると寺領を没収され,同7年火災に罹り無住寺となる。その後宗光寺を中興した養山芳育を請じて現宗派に改宗。宗光寺領100石のうち19石余を分与された。元禄年間に慈雲が復興に努め,延享4年に広島藩の援助で諸堂を修理した。往時は子院12坊を有したというが,現在では当寺南東の日光寺(旧名日光坊)のみが残る(豊田郡誌)。境内東側の丘陵上には小早川隆景の墓石(県史跡)など,沼田小早川氏の宝篋印塔20基が並び,北東隅の元応元年在銘の宝篋印塔(国重文)は,鎌倉期各地に石造物を残した石工念心の作。なお寺宝には国重文の絹本着色小早川隆景像があり,賛文は彼の塔所の京都大徳寺黄梅院主玉仲宗琇の撰文。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7190787 |