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平和記念公園
【へいわきねんこうえん】


広島市街の中央,中区中島町にある都市公園。昭和39年4月供用開始。面積12.20ha。第2次大戦の終結を告げる大きな要因となった原子爆弾の投下は,75年間は草木も生えないといわれた廃虚を生んだ。ここから始まった広島市の復興は,昭和24年制定の広島平和都市建設法を受け,市民の努力と犠牲のうえに進められた。区画整理によって市内を東西3kmに走る幅100mの緑地帯(平和大通り)を敷設し,平和大通りと太田川・元安川がつくる三角地帯を平和記念公園域とした。焦土と化した地は,芝生に覆われた平和の広場を中心に,樹木に取り巻かれ,両岸は桜並木が続く公園に生まれ変わった。正面の平和記念資料館(原爆資料館)には,被爆当時の広島をとどめ,原爆の破壊力を示す遺品や,人体への悲惨な影響を見せる資料等が展示されている。広場には,被爆者の霊を慰める原爆慰霊碑がある。古代の埴輪をかたどった屋根の下に死没者の過去帳を納入した石棺が安置され,棺正面には「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」と碑文が刻まれている。前に立つと,この世から核兵器がなくならない限り燃え続ける平和の灯と原爆ドームが一直線に並ぶ。他に,各地から寄せられた無数の千羽鶴を釣る原爆の子の像,嵐の中の母子像,祈りの泉,平和の鐘などが園内に配置され,広島市ならびに広島市民の恒久平和念願の地となっている。核実験のつど,原爆慰霊碑前では抗議集会や座り込みが行われ,毎年8月6日には原爆慰霊式典が催される。公園の北端に架かる相生橋は太田川と元安川が分かれる地点にあり,T字橋であるところから爆撃の目標とされ,元安川対岸の原爆ドーム上空が爆心地であった。原爆ドームは,かつての産業奨励館で,一瞬にして崩壊した。崩れかけたコンクリート壁から曲りくねる鉄骨が露出し,塔もドームの部分は鉄骨があらわにされている。全国から寄せられた基金で補修工事がなされ,被爆を証言する建造物として永久に保存されることになった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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