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三川村
【みかわむら】


(近代)明治22年~昭和18年の自治体名。はじめ高宮郡,明治31年からは安佐郡に所属。太田川西岸の沖積低地上に位置する。中央部には古川,西端には安川が流れ,村名はこの3河川に由来する(県史)。中筋古市村と東野村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。明治24年の戸数637・人口3,089。江戸期以来の麻苧工業は明治末期から大正期にかけて最盛期を迎え,麻を処理する煮扱屋は30軒余,扱苧を近在の婦女子の手内職に出し糸に加工する麻糸屋は13軒あまりあったという(佐東町史)。明治33年の工産物調査表によれば製麻・麻糸・麻織物を合わせ製造戸数370,職工数は男70・女1,210。大部分が専業で,農家の副業として経営するものは約2割。蔬菜栽培も活発であり,漬物用の広島菜・ダイコン・ゴボウ・ニンジンを主作物とした(古市町誌)。広島へ出荷する野菜・麻苧製品は川舟のほか荷車でも運ばれ,帰り荷は日用品,下肥を積み込んだ。大正元年の川船数は44艘(県安佐郡報)であったが,昭和期に入り自動車輸送の増大とともに舟運は衰退に向かった。明治42年広島電気軌道(現国鉄可部線)横川~上八木間が開通,同年当村南端には古市橋駅が設置される。古市を貫通する県道(旧雲石往還)には早くも明治36年横川~可部間の乗合バスが運行。奥地からの木材・薪炭を運ぶ馬車,広島へ野菜を運ぶ荷車,下肥汲取りの車が早朝から往来したという。大正9年の世帯数606・人口2,721。昭和15年の世帯数887・人口4,276。同18年古市町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190965