和南原
【わなんばら】

旧国名:備後
神野瀬川支流の和南原川上流域。備後国の最北端にあたり,中国山脈脊梁部をもって出雲国と境を接する。備後国最大の豪雪地帯。別名七日迷山ともいう大万木(おおよろぎ)山が島根県頓原町との境にある。当地を南北に貫通して陰陽を結ぶ出雲路(阿井越)があるが,「出雲国風土記」仁多郡の項に「恵宗の郡の堺なる比市山に通るは五十三里なり」とある比市山を,当地から出雲国へ越す王貫峠にあてる説もある。地名の由来については,当地方の領主多賀山氏が尼子氏と戦った時,出雲国造殿佐草氏が当地まで来て仲介の労をとり和談となったので和談原と呼び,それが和南原に転じたとする説(士富山軍記)があるが,文和4年7月16日山内通資から弟通顕への譲状(山内首藤家文書)に「備後国地毘庄多賀村内藁原名事」とある藁原が和南原の古名とみられる。王貫峠は承久の乱で隠岐島配流の後鳥羽上皇がここを通過したとの伝説をもつ地名。
【和南原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【和南原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7191614 |





