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青江塩田
【あおええんでん】


吉敷(よしき)郡秋穂(あいお)町の青江湾内に所在した塩田。寛永年間頃から開かれ,粟屋氏給領地大海(おおみ)村に属し,宝暦13年には約7町7反の塩浜があり,高77石余であった(宝暦検地帳)。明和3年萩藩に上地され,その後撫育方の経営によって小浜が整理され,おおむね1町5反を基準とした1番浜~19番浜からなる入浜式の青江塩田が寛政元年に完成した。「注進案」によると,塩浜26町余・高1,312石余とあり,また田畠7町余・高36石余とあり,塩田村として青江村が成立していたことがわかる。秋穂半島一帯は岬と入江が交錯し,静かな湾頭には遠浅の砂浜海岸が形成され,塩田立地に好条件の環境を有していた。古墳時代の美濃ケ浜製塩遺跡のように,古代における土器製塩の中心地をなした地方であり,中世にも秋穂二島荘は塩の荘園として知られた。江戸期,明和2年佐渡屋某が有帆炭をはじめて製塩の燃料に使用(小野田市史年表)。安永7年に塩釜の構造を改良して製塩用に効率的な石炭を導入したのは秋穂青江浜の江村新右衛門で,瀬戸内における製塩石炭焚の創始者といわれる。天保13年頃の青江塩田の生産量は1万7,000石(注進案)。塩浜は,当初19軒,明治30年代には北浜8軒・南浜7軒となり(防長塩田之図),経営も順調で,塩田1枚で1町百姓以上に相当するといわれたが,昭和18年労働力不足と時代の要請によって秋穂塩業組合の1つとして整備され,その中では40.6haの最大規模のものであり,同31年効率の高い流下式に改修された。同34年第3次整理によって廃止。現在,北浜は工場用地,南浜は荒地となっており,その間にほぼ東西に通じる中入川が旧状を残す。また,青江北浜の北側に残る塩田以前の旧海岸線に沿う砂堆地には浜山一番・浜山二番,塩田東端の日地集落には南古浜,その内側の水田地には古浜の字名があり,いずれも旧塩浜に関連する地名と考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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