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厚狭港
【あさこう】


厚狭郡山陽町郡(こおり)字沖開作の南,厚狭川河口にある地方港湾。江戸初期には厚狭川橋上流3kmの下津が年貢米の積出港であり,大坂・萩への運送米の積荷港でもあった。地下上申絵図によると,米蔵が下津舟渡しの下流にあった。昭和10年代,日本化薬厚狭工場への原料や石炭の移入,製品の火薬の移出のため,厚狭港を基地にして20t以下の木造機帆船が動いていた。しかし,厚狭港は遠浅であるため大潮の満潮時にしか出入りできず,潮時を待って厚狭川をさかのぼり,作業所のかたわらに接岸して荷役した。戦後,船は次第に木造船から大型の鋼船となり,日本化薬の荷物がトラック輸送に転換されたこともあって,鋼船は他港を基地とするようになった。昭和60年の港湾実績は,移入が化学肥料1,552t,移出は化学工業品732t。なお,厚狭港の一部に梶漁港が含まれる。梶漁港は山陽町郡字宮崎にある第1種漁港で,明治初年よりノリ養殖中心の漁業地として有名。昭和60年,梶漁港の漁業実績は,年間漁獲高1,072t・漁獲額2.7億円余。漁船数96隻はすべて5t未満の小型船で,うち42隻はノリ養殖用。ノリ養殖・採貝業・小型定置網・刺し網漁業を主とし,ノリの漁獲高が60%近くを占め,アサリ・ボラ・コノシロが次ぐ。梶漁港は地形的な条件で整備が困難であったが,宮崎の地先に若山炭鉱の埋立地ができたことで辺りの潮流が変わり,昭和48年からの第5次漁港整備計画事業の中に組み入れられ,防波堤の築造や護岸工事をし,干潮時でも漁船の出入りができるように1,600mの航路や港内を浚渫,その泥土で陸地を造成し物揚場や道路を設けた。漁業組合員数179人。うち130人は準組合員(港勢調査表)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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