今津
【いまづ】

旧国名:周防
今洲とも書く(玖珂郡志)。錦川(今津川)の河口左岸に位置する。地名の今津とは新しくつくられた港を意味し,岩国藩の城下町がつくられた慶長6年頃つけられたものと考えられる。寛文3年の郷帳には向今津(こいまづ)村を小今津というのに対して当地を大今津とする(享保増補村記)。天神社については,延喜元年菅原道真左遷の時,船を留めてここの山上に登り,しばらく景色を眺めて休息した。景色が深く印象に残ったようで,筑紫に行っても神魂はここに留め給うというので,天徳年間に村民が小社を造って祭礼を行ってきたという(玖珂郡志)。また唐人松と呼ばれた松があり,難破した唐船がここに漂着,乗員の遺骸を埋め,その印に松を植えたという。建長2年清縄左衛門尉良兼が琵琶首の山上に,氏神八幡宮を創建。その頃は山の下まで海であった。次いで貞和3年孫の弘中堂内兼胤が白崎山に八幡宮を造営,盛時には別に社僧12坊があったという(白崎八幡宮縁起)。
【今津(近世)】 江戸期~明治6年の地名。
【今津村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【今津(近代)】 明治22年~昭和40年の大字名。
【今津町(近代)】 昭和40年~現在の岩国市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7191916 |





