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宇部港
【うべこう】


宇部市港町1丁目,真締川河口の沖合海域を中心に,宇部岬から小野田市の本山岬までを港域とする重要港湾。周防(すおう)灘に面する。平安期,源俊頼の和歌の詞書にある「むべの泊」が宇部泊と考えられる。既に厚東川河口あるいは居能から藤曲に至る浦(ともに宇部市)に瀬戸内航路の停泊港があり,中世には厚東氏によって日宋貿易が行われていたらしく,江戸期に北宋銭入りの壺が発見されている。かつて緑ケ浜と呼ばれた白砂青松の海岸線は,山口炭田からの石炭積出しなどにより,その景観は一変した。石炭利用は,17世紀頃常盤池付近で農家の自家用燃料として始まっていたが,瀬戸内沿岸の製塩業の発達に伴い需要が増大した。寛政10年,藩主毛利氏の家老福原房純の代に樋ノ口から西流して助田で海に流入していた真締川の流路を変更し,沖ノ山砂丘を開削して人工の河川新川がつくられていて,新川河口には多くの石炭船が集まった。明治19年河口左岸に石垣の波戸ができ,船入場として一層利便が増し,同30年頃船宿も出現。沖ノ山炭鉱は新川河口の西側を埋め立て,同39年から本格的な海底採掘を開始。翌40年には西沖ノ山,翌41年には東見初の各炭鉱会社が創業し,石炭積出し港新川港の名は関西方面にも知られるようになった。大正末期に新川港は宇部港と改称された。沖ノ山炭鉱の築島と西新川旧海岸線との間に長い堤防が築かれ,炭鉱から排出されるボタで堤防西側に22万余坪の埋立地を造成した。西沖ノ山炭鉱もまた西新川地先に19万坪の埋立地を造成,両者が現在の主要工業地を形成している。昭和3~8年の港湾施設の増改築は地元企業が実施。水深3~7m,港域面積は内港1,800ha・外港2万4,000ha,各企業によって繋泊・荷役・補給・貨物貯留場・各種倉庫などが完備され,昭和8年第3種港湾,同10年第2種重要港湾,同26年重要港湾に指定された。戦後のエネルギー革命により炭鉱は閉山したが,石炭資本の化学工業への転換により,宇部港は工業港として県内でも重要な役割を担っている。昭和60年の出入貨物量2,883万2,944t,うち外貿1,154.9万t・内貿1,728.4万t。外貿ではセメントとその他の窯業品の輸出が88.2%。原油と石炭の輸入が91%を占める。移出ではセメント・石灰石・石油製品・重油が多く,移入では珪砂・砂利・砂が52.1%を占める。入港船数は2万168隻,2,309万332総tで,1万t以上566隻,外航商船は469隻。なお港域内には,第2種漁港の宇部岬漁港がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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