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山陽道
【さんようどう】


京都から大宰府(福岡県)に至る古代の官道。令制では官道を重要度によって大路・中路・小路に分けていたが,山陽道は唯一の大路であり,最重要路線であった。「延喜式」によると,周防(すおう)・長門(ながと)両国では山陽道筋に13の駅が設けられていた。東から,周防国では石国(いわくに)・野口(ともに玖珂(くが)郡)・周防(熊毛郡)・生屋(いくのや)・平野(ともに都濃(つの)郡)・勝間(佐波(さば)郡)・八千(やじ)・賀宝(かがほ)(ともに吉敷(よしき)郡)の8駅,長門国では阿潭(あたみ)・厚狭(あさ)・埴生(はぶ)(ともに厚狭郡)・宅賀・臨門(りんもん)(ともに豊浦郡)の5駅。なお当道の支路が,厚狭駅と山陰道の終点石見国伊甘駅(島根県浜田市)を結び,「延喜式」によれば阿津・鹿野(かの)・意福(おふく)(ともに美祢(みね)郡)・由宇(ゆう)・三隅(ともに大津郡)・参見(さみ)・垣田・阿武(あぶ)・宅佐(たかさ)・小川(ともに阿武郡)の駅があった。防長両国内における古代山陽道のルートや駅家の所在地は,現在のところ完全に確認されるには至っていない。しかし,そのおおよそのルートは瀬戸内海の海岸部に沿い,中世以降,コースに若干の変更をみながら,江戸期の中国路,現在の国道2号に継承されてきた。江戸期には,江戸を中心に全国の交通体系が再編成され,中国路(山陽道)は主要道の5街道からはずされて,脇街道の1つに位置づけられた。しかし,江戸と長崎を結ぶルートであるため,公儀の通行,参勤交代による西国大名の往来などが多く,主要街道であることにかわりはなかった。萩藩では,防長両国内の当街道36里の整備,宿駅の維持・管理に腐心していた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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