100辞書・辞典一括検索

JLogos

15

下関港
【しものせきこう】


下関市唐戸町・岬之町から東大和町の沖合海域を中心とし,福岡県北九州港(門司港・小倉港・洞海港)とともに関門港の一部をなす特定重要港湾。関門海峡に臨む天然の良港。古くから大陸との往来が盛んで,遣隋使・遣唐使の寄港地となり,江戸期から明治10年代までは北前船の寄港地として発展,「西の浪華(なにわ)」と呼ばれた。本格的な港湾整備は幕末頃問屋仲間にもちあがり,文久元年大規模な埋立てを完成,築港が行われた。明治8年上海航路定期船の寄港地となり,同16年特別輸出港指定,翌17年には対韓貿易の開始により三菱汽船・大阪商船・日本郵船などの船会社が出先機関を設けるなど,国際的な商港としての動きが活発になった。貿易関係の内外の商社が設置されるにつれ,明治後期から昭和初期にかけてイギリス・オーストリア・ハンガリー・ノルウェー・ドイツ・アメリカ・スウェーデン・ポルトガル・オランダの各領事館が開設。明治中期にはわが国の海運界の汽船化と大型化が進み,出入船舶の増加につれ停泊水域が狭くなった。明治27年当時の東南部(ひがしなべ)町と唐戸湾の埋立てに着手,約2.98万m(^2)の埋立地を造成し,係船・荷役に使用,税関出張所・関門渡船場を設置,沿岸には倉庫が立ち並び,近代的な港湾の景観となった。同34年,山陽線が赤間関まで全通し,関門連絡船が就航。同38年韓国釜山との間に山陽汽船が関釜連絡船壱岐丸(1,680t)を初めて就航。同40年福岡県門司港と合併して関門港となり,第1種重要港湾となる。大正3年豊前田町に関釜連絡船用桟橋が完成。同10年~昭和4年の第1期修築工事で唐戸から岬之町に至る東港区が築造され,同12年からの第2期修築工事により,同18年第一突堤(延べ660m,水深9m,1万t級船バース)が完成。同30年度,東大和町第二突堤(下関港工業ふ頭)の埋立てを運輸省の第四港湾建設局に委託し,同34年に築造され,下関港の整備は大いに進展した。昭和15年福岡県小倉港,同17年同洞海港を統合し,関門港として国の管理するところとなり,軍事的性格の強い港湾整備が進められた。同25年港湾法施行により,国の管理から離れて下関・門司・小倉・洞海の4港に分離したが,同26年港湾の種類としては関門港として4港が一括して扱われ,特定重要港湾に分類,指定された。同45年には日本初の国際フェリー関釜連絡船が就航し,わが国最大の外国旅客船港となっている。同60年の出入貨物量594万9,278t,うち外貿215.9万t・内貿379万t。輸出量49.2万t・輸入量166.7万tで,輸入は重油・リン鉱石・原木が多く,移出(140.9万t)では重油,移入(238.1万t)では重油・石炭が多い。入港船舶数5万1,322隻・1,524万8,792総t,1万t以上の船舶108隻。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193089