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仙崎漁港
【せんざきぎょこう】


長門(ながと)市仙崎にある第3種漁港。北浦随一の漁港で仙崎砂州の東岸に立地。県内では下関・萩漁港に次ぐ第3の漁獲高をあげる。仙崎・白潟と青海(おうみ)島の大日比の3地区を合わせて仙崎漁港という。長門北浦海岸は,一般に沈水海岸で海況に恵まれ,海草類が繁茂し,魚族が豊富で早くから水産業が発達。仙崎漁港は江戸期に瀬戸崎浦と呼ばれ,青海島の通浦(かよいうら)とともに,寛文12年捕鯨業を創業,藩の保護の下に明治期まで続いた近海捕鯨の基地でもあった。通の向岸寺には鯨鯢群類過去帳が現存し,寺の北側には国史跡の鯨墓がある。昭和8年,仙崎湾の弁天島から南方に防波堤226m,陸側からそれに相対峙する吉金突堤80mを建設。同15年から県営事業として修築を実施し,弁天島防波堤132m,大型漁船岸壁130mなどが完成。同25年には町営水産荷役桟橋,船舶給水施設も完備した。漁港の北隣には青海島への観光船埠頭,南側の白潟には住友セメントの石灰石の積出港がある。昭和27年の李承晩ライン宣言以後,仙崎漁船の拿捕が相次ぎ,沖合漁業に大打撃を与えたが,この頃から「獲る漁業」から「育てる漁業」へと目が向けられ,同35年に青海島の紫津浦(しづら)でハマチの養殖が始まった。仙崎漁港地域は水産加工業が発達し,地場産業としての蒲鉾製造業は全国的に有名。なお,仙崎漁港は終戦後釜山からの引揚港に指定され,昭和20年9月2日最初の引揚船興安丸(7,000t)が約7,000人を満載して入港,以後およそ1年間に約41万人の一般引揚者と陸海軍軍人復員者が上陸した。昭和60年の漁業実績は,県外船124隻(長崎県56・福岡県24・大分県16等)が目につく。地元漁船446隻(10t以上の沖合漁船47),県外船を含む外来漁船は約2倍の910隻。年間漁獲高1万813t・漁獲額43億3,500万円。漁獲高全体の61%をイワシ・ブリ・アジが占め,イカ・サバ・カレイが次ぐ。まき網・敷網・小型機船底引網・刺網業を主とし,漁業組合員数663人,うち正組合員数407人(以上,港勢調査表)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193372