田万崎村
【たまさきそん】

(近代)明治22年~昭和15年の阿武(あぶ)郡の自治体名。中国山地北麓の田万川下流域に位置し,東・南・西の三方を山稜に囲まれ,北方は湾入する江崎湾に面する。上田万・下田万・江崎の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。村役場は下田万字本郷に設置。村名は,田万に江崎の崎を加え命名された。明治24年の戸数754・人口3,824(男1,979・女1,845),厩31,寺院4,船220(徴発物件一覧)。戸口は同35年887戸・3,994人(男2,082・女1,912),大正元年795戸・4,348人(男2,242・女2,106)。世帯数・人口は,昭和5年830・3,793(男1,954・女1,839),同15年849・3,809(男1,945・女1,864)。大正6年には田249町7反余・畑124町8反余,農業240戸・商業275戸・漁業137戸・工業38戸,主要産物の生産高と価格は,米3,383石・5万745円,水産物7万830貫・5万1,523円など(阿武郡田万崎村治一班)。江崎港は天然の良港として近世より繁栄したが,明治35年大阪商船富士川丸の寄港をはじめとして,山陰の定期寄港地となり同年運送会社も設立された。大正3年の主要移出品の数量と価格は,型銅10万8,000斤・10万8,000円,半紙3万3,000締・8万2,500円,畳表2万6,000枚・7万5,600円,割竹8万3,000束・3万3,750円,下駄甲3万3,000足・3万3,000円など,移入品は,呉服3万8,500反・9,625円,莨2万7,500〆・8万6,625円,砂糖233.968斤・3万4,945円などであった。江崎にはこのほか字中町に魚市場と萩銀行江崎出張所・巡査駐在所が,字片山に郵便局が置かれた。また西洋型蒸気船1・西洋型船15・人力車9・自転車66・乗合馬車1・荷馬車15・荷車74などがあった(阿武郡田万崎村治一覧)。昭和3年国鉄山陰本線江崎駅が開設され,同8年に山陰本線全線が開通すると,江崎駅は阿武郡北部山間部への玄関口として物資集散機能を強めた。同9年の江崎駅乗客数6万3,224人,貨物発送4,817t。一方江崎港は貨車輸送に押され商港としての地位を低下させた(昭和9年田万崎村勢要覧)。明治25年共励小学校は,村名と学ぶことの内容を結びつけて多磨尋常小学校と改称。昭和15年町制施行し,同時に江崎町と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7193525 |





