100辞書・辞典一括検索

JLogos

21

堂崎の渡し
【どうさきのわたし】


渡崎・道崎とも書く。下関市中之町,亀山八幡宮の正面大鳥居の東側にあった九州への渡し。山陽道はさらに赤間町・西之端町から永福寺門前の一里塚まで続くが,九州への渡航点であるこの渡しが,実質上の山陽道の終点である。明治11年9月には亀山八幡宮の東鳥居の下に「山陽道」の碑が建てられたが,昭和29年12月に正面大鳥居の傍に移されている。「大内家壁書」によると,門司・赤坂・小倉への3航路があり,文明19年大内政弘はそれぞれへの渡賃を1文・2文・3文と定め,規定に背く渡守がいれば死刑に処すと定めている。古代山陽大路の終点は前田茶臼山西麓の臨門駅で,ここから豊前社崎に渡り筑紫大宰府に行った。中世にはここから旧壇ノ浦の荒磯伝いに海岸路があったが,公式の道ではなく,新旧壇ノ浦の海岸を通り堂崎の渡しに至る山陽道は,赤間関の重要性が増す江戸期に正式に造成されたものである。江戸期,船舶の出入りが盛んになると,この渡しに幕府の指示による船改などのため,津口番所がおかれ,旅人の検問が行われた。関門航路は,門司の石田平吉が明治22年片道5銭で開いて以来増加し,現在では唐戸~門司港間をはじめ7航路がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193707