徳山
【とくやま】

旧国名:周防
末武川・東川・富田(とんだ)川・夜市(やじ)川流域の平地と,金峰(みたけ)山南麓の丘陵山地に位置する。当地ははじめ田辺荘と称されたと伝える。その後,応永年間大内義弘が紀州の熊野本宮権現を当所に勧請した際,熊野の野の字をとって野上荘と改名,慶安3年徳山藩主毛利就隆が居館を下松(くだまつ)から金剛山麓に移したのを機に,さらにこれを徳山と改めたという(地下上申)。縄文遺跡はないが,弥生遺跡もきわめて少なく,市街地の後方にあたる西一ノ井手や久米の老郷地などに見られる程度。古墳は久米・櫛ケ浜地区で26基,加見・富岡地区で10基。築造時期からみると,弥生時代の伝統をもつ箱式石棺を内部主体とした小規模古墳もあるが,ほとんどは横穴式石室をもつ後期古墳(徳山市史)。
【徳山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【徳山(近世)】 江戸期の城下名。
【徳山村(近代)】 明治22~33年の都濃郡の自治体名。
【徳山町(近代)】 明治33年~昭和10年の都濃郡の自治体名。
【徳山市(近代)】 昭和10年~現在の自治体名。
【徳山(近代)】 昭和17年~現在の徳山市の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7193751 |





