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長門町
【ながとまち】


(近代)明治36年~現在の下関市の町名。もとは下関市長崎町・茶山町。町名の由来は長門国にちなんだものか(下関市史)。小規模商店と住宅の密集地。明治15年,検梅所が県の施設として設けられ,のち県立茶山病院となり,戦後廃止された。その後大坪(昭和館)にあった県立ろう学校下関分校が,昭和34年に移転してきたが,同42年には古屋町へ新築移転。跡地に同60年11階建ての市営住宅が建設された。昭和50年,一部が竹崎町2丁目・上条町・今浦町・長崎新町となり,大字関後地村(せきうしろじむら)・豊前田町・竹崎町の各一部を編入。世帯数・人口は,大正14年504・2,091,昭和10年493・2,112(男1,045・女1,067),同22年439・1,682(男797・女885),同30年505・2,231(男1,064・女1,167),同40年394・1,550(男715・女835),同50年338・1,010(男469・女541),同60年407・1,077(男470・女607)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193861