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長登鉱山
【ながのぼりこうざん】


美祢(みね)郡美東(みとう)町大字長登にある鉱山。秋吉台の南東部に位置し,花ノ山(313m)の周辺や長登の集落の北1.3kmの北平山(約310m)の付近に分布する10数か所の鉱山を総称して長登鉱山と呼ぶ。これらは歴史的には長登銅山として早くから知られた。長登一帯は古生代の塊状無層理の石灰岩よりなる秋吉石灰岩層群と砂岩を主にチャート・頁岩・石灰岩よりなる大田層群が分布し,その地質境界部にあたり,ここに中生代に貫入した花崗斑岩の影響によって,石灰岩との接触部に高熱交代鉱床いわゆるスカルン鉱床が生成されており,自然金・自然銀・自然銅・斑銅鉱・閃亜鉛鉱・黄銅鉱・褐錫鉱・磁硫鉄鉱・方鉛鉱・輝コバルト鉱・灰重石など40数種にものぼる産出鉱物が知られている(山口県の地質)。長登の地名は奈良登に由来するとの伝承が「注進案」に記されている。地名解釈の是非は別として,文献調査などから長登銅山の開発が古代にまでさかのぼることが推定されていたが,近年の鉱山跡の現地調査によって,からみ(鉱滓)に混じって,須恵器・土師器片が多く発見されたこと,さらに昭和63年3月奈良市の東大寺仏殿回廊西側の発掘調査によって出土した溶銅塊の成分分析の結果,ヒ素の含有量からみて長登銅山産出のものとほぼ一致することが明らかになった。「続日本紀」や「延喜式」などにたびたび長門(ながと)産の銅・緑青の記載が見られ,正倉院の「造東大寺司牒」にも大仏鋳造用の料銅が長門(ながと)国より送られたことが記載されている。これらの主産出地が長登銅山であった可能性は濃厚であり,今後の調査が必要である。慶長15年検地帳では蔵目喜(ぞうめき)鉛山3,241石8斗9升,根笠錫山3,566石5斗4升とともに長登銅山は1万608石9斗9升の鉱山石を産出しており,江戸初期における萩藩第一の重要鉱山であった。元和元年の蔵入一紙には,年間立銀を定めて民間に請け負わせる形態の請山として蔵目喜や根笠など9か所の鉱山のうちのひとつとして長登があり,銀山方の支配下にあった。元禄13年江戸幕府に報告した藩内の銅産額のうち,長登銅山は元禄11年分銅9,520斤・板銅2,693斤,元禄12年分銅610斤・板銅2,500斤であった(毛利十一代史)。元文4年の江戸幕府の銅山調査には藩内4山があり,その中のひとつに美祢郡長登の白山が京都銭座の有来清助の請山であった。さらに宝暦13年の幕府への報告には稼行中の銅山として蔵目喜と長登の2鉱山があげられている。長登銅山は多くの小鉱山が集中し,江戸初期から中期にかけて各地で採掘が続けられ,長期にわたって鉱山村として栄えた。「地下上申」は「町 長登本郷ニ有之,但家数町中三拾七軒」と記し,「注進案」では市町として上ミ町と下モ町があり家数33軒である。「毛吹草」に長登緑青としてあげられているものは,当時岩絵具として全国に知られたもので,「長門滝ノ下緑青」の名で広く売りさばかれていた。滝ノ下・大切山は長登銅山の中でももっとも知られた銅鉱・緑青の産出地であつた。「注進案」には家数33軒のうち緑青商人7軒を記す。江戸末期になると文化年間に発見された新山である横野山と北平鉛山が稼行しているのみで,ほかはほとんど休山状態であった。「注進案」には「かな山」として,つづらが葉山(銀山),尻なし山(銀山),北平山(鉛山),鉑山(銅山),浜の宮山(銅山・岩緑青・丹石),横野山(銀山),花の山(銀山),榧ケ葉山(銅山),烏帽子山(銅山),大切山(銅山)の10か所をあげており,横野山のほかはすべて休山の状態を記している。明治以降は新技術の導入によって,明治25~27年に花の山坑,同36年烏帽子竪坑,同38年花の山製錬所,同40年大切竪坑,同43年古山坑などの開掘や再開が行われた。大正期には銅年産150万貫にも達し,コバルト鉱の長登坑や鉄鉱の北平竪坑の採掘も進められ,一時盛況であったが,価格の暴落や災害によって,これらの多くは休山となった。昭和7年烏帽子坑が再開されたが,戦後閉山し,戦時中鉄鉱月産100tを産出した喜多平鉱山(北平山付近)も昭和38年閉山した(生産遺跡分布調査報告書採鉱・冶金)。山口県教育委員会・美東町教育委員会によって,長登鉱山に関する遺構・遺物の調査が進められつつあり,現在までに18か所に及ぶ関連遺跡の所在が明らかにされている。花ノ山の北側に榧ケ葉山・滝ノ下・大切山・大切吹屋・二ツまぶ,花ノ山の東側に山神坑・花の山製錬所跡・花の山・長登坑,花ノ山の西側に大田鉱山・烏帽子岩山,長登の集落付近に吹屋製錬所跡・亀山東・つづケ森,北平山付近につづらケ葉山・北平山・浜の宮山・北平製錬所跡があることが確認されている。古文書に見える鉱山地名の現地比定も実証できるところが多く,古代から現代に至る鉱山史を解明する好適の遺構群を残すところとして注目されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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