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西ノ浦塩田
【にしのうらえんでん】


防府(ほうふ)市西浦の海岸に所在した塩田。広義には三田尻塩田に含まれる。佐波川河口一帯の広大な干潟が発達する大海(おおみ)湾の東岸に位置する。天明7年萩藩撫育方が,西ノ浦の黒山の西岸から小茅の北岸にかけての干潟海面を塩田とするため,同年9月着工し,11月潮留めを行い,面積60町1反の干拓に成功,前ケ浜塩田と名付けられた。同年12月と翌年8月の2回にわたって強風による堤防決壊を生じたが,修復を重ねて完工した。南側より前ケ浜一ノ枡・前ケ浜二ノ枡・前ケ浜三ノ枡の3区画に分かれ,一ノ枡南入川・二ノ枡南入川,三ノ枡南入川・三ノ枡北入川と,塩田と陸地側の境界をなす岡手入川の5筋の潮入川により,3区画それぞれ四面に潮が回る完全な枡築浜で,すぐれた塩田であった。塩田の東側には前ケ浜町と前ケ浜石崎町が形成され,塩の積出しのため,万延元年小茅に長さ106間の波戸を築堤し,小茅港が整備された。こうして塩田村が成立し,「注進案」では,三田尻宰判西ノ浦前ケ浜として一村並みに独立して記載され,家数254軒うち塩浜35軒・前ケ浜町141軒・小茅町78軒,人数856人。また,北前船の入港でにぎわった小茅町に塩問屋14軒・揚屋6軒などがあり,塩浜町数55町余,高2,693石余。浜鎮守は黒山南麓の石ケ崎にある和立海神社。明治中期頃の塩浜数は,一ノ枡には原屋・藤本屋など11軒,二ノ枡には若竹屋・西村屋など16軒,三ノ枡には田中屋・平田屋など8軒。昭和34年の第3次整理によって廃止され,同57年跡地に東洋工業の自動車工場が設置された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193990