橋本橋
【はしもとばし】

萩市内の橋本川に架かる道路橋。北側橋畔の橋本町と南側対岸の椿町とを結び,国道262号が通じる。南の山口・小郡方面からの市街地への入口にあたり,西の下関・長門方面からの玉江橋,東の益田方面からの雁島橋とともに萩市三角州への玄関口にあたる橋である。橋の下を流れる橋本川は,松本川と並ぶ萩デルタの2大河川で,下流の川幅が約200間(360m)ある萩第一の大河である。萩城完成後の元和2年にここに初めて橋が架けられたと伝えられるが,慶長9~10年に作成されたとされる慶長長門国絵図(宇部市郷土資料館蔵)にすでに板橋が描かれている。江戸期の橋の長さは48間,幅3間半で,ちょうどいろは48文字と数が一致するため「いろは橋」ともいわれ,別に橋本大橋・椿大橋・金谷(かなや)大橋・青苔(せいたい)橋・銷魂(しようこん)橋ともいわれた。橋本橋は山口・三田尻方面に向かう萩往還の城下町デルタ部出口にあたるため,北側橋畔に番所が置かれ,交通の要衝として重要な役割を果たした。番所は城下にいくつかあったが,橋本番所には2階に釣鐘,3階に火見櫓がおかれ,洪水や火事の警報を行ったが,上流を直線的に見渡せるこの番所は,特に洪水時には重要な役割を果たした。明治9年10月31日前原党の反乱(萩の乱)があり,この橋をはさんで,橋本町の大部分の町家が焼失するほどの銃撃戦があった。江戸期の板橋は洪水で何度も架け替えられたと考えられるが,大正期にコンクリート橋が架けられ,昭和27年に改架。同41年7月の増設工事で,橋長120m,幅員11.2mとなった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194100 |





