東厚保村
【ひがしあつそん】

(近代)明治22年~昭和29年の美祢(みね)郡の自治体名。厚狭(あさ)川中流域および同支流随光川上流域に位置する。厚保川東・山中の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。地名は厚保の東部に位置することによる。役場は厚保川東に設置。明治24年の戸数520・人口2,405(男1,213・女1,192),厩315,寺院3,学校2,船7(徴発物件一覧)。同38年大嶺線(現JR美祢線)の開通に伴い四郎ケ原駅が置かれた。大正期の主要道路に村の中央を南北に通る県道大田小月線,字熊ノ倉で分岐して字金山に至る郡道大田東厚保線があった(美祢郡誌原稿)。村の中部には石灰岩があり,石灰製造戸数・生産量は大正15年2戸・3万貫,昭和5年2戸・21万貫である(美祢市史)。石村貞一は明治44年雛山文庫を開き,蔵書の全部を寄付して,大正5年村立大正記念雛山文庫を設立。文庫は東厚尋常高等小学校が管理した(現在市立図書館蔵)。明治35年の戸数514・人口2,486,うち男1,231・女1,255。世帯数・人口は,大正9年502・2,193(男1,057・女1,136),昭和22年575・2,820(男1,429・女1,391)。大正5年の田畑面積は田442町2反余・畑92町3反余,職業別戸数は農業447・工業8・商業18,諸車は荷積馬車40台・自転車50台(美祢郡勢一班)。昭和29年美祢市の一部となり,村制時の2大字は同市の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194168 |





