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肥中漁港
【ひじゅうぎょこう】


豊浦郡豊北(ほうほく)町神田字肥中にある第2種漁港。響灘に面し,西長門海岸の溺れ谷に立地する港湾。古くは肥中湊として知られ,「注進案」には,「南風・東風当り海浅く,繋船して交易はできない」とあるが,漁船の係留に不便はない。天然の良港として,室町期には海上関があり,大内氏時代には朝鮮との交易も実施された(海東諸国紀)。天正14年豊臣秀吉九州征討には阿川毛利氏の諸士が肥中湊から出陣し,文禄・慶長の役にもこの湊から出兵した(阿川山県家文書)。萩藩では,承応3年北浦物見番船2隻を肥中に置き,肥中番所は江戸期を通じて北浦の警備や諸廻船の取締りに当たり,明治3年廃止された。肥中湊は,幕末には港が埋まり,南の特牛(こつとい)湊にその地位を譲った。古くから釣り・延縄などが伝統的に行われ,近世には地引網などの網漁業,また元禄10年には島戸浦と共同で捕鯨も行った。「注進案」には,肥中・特牛両浦の漁船31隻とある。昭和60年の漁業実績は,年間漁獲高45t・漁獲額4,600万円。漁船数51隻はすべて5t未満の小型船で,磯建網・ウニ採取業・釣漁業を主とし,主な魚種はブリ・イカ・ワカメ・ウニ・サザエ。漁業組合員数166人,うち正組合員数88人(港勢調査表)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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