平安古町
【ひやこまち】

旧国名:長門
(近世~近代)江戸期~現在の町名。平安湖町とも書いた。江戸期は萩城下28町の1つ。城下西部に位置し,北は萩城外堀を隔てて三の丸(堀内)に対面し,東・西・南は平安古の武家屋敷地に接する。当町内を平安古筋が外堀にかかる平安橋から南方向へ縦断し,石屋町筋と吉見橋筋がそれぞれ東西に横切っている。昔,三の丸(堀内)に平安寺という寺があり,その門前に商売を営む者が住んでいたが,門外に新たに本町ができたので,商人は他所へ居を移した。そこで平安寺の古い門前町という意味で,平安古と名付けられたと伝えられる(萩諸町之旧記草案)。また,一説には,当地に「ひやこ」という池沼があり,この名が広がってのちに平安湖という文字をあてたともいわれる。当町の成立の時期は明らかではないが,住吉祭礼の引受町を記した順番帳によると,寛文7年に当町の名が見え,その後,享保6年に当町は1丁目と2丁目に分かれたという(萩諸町之旧記草案)。宝暦元年萩大絵図付録の記録(寛延3年改)によると,平安古町1丁目は間数312間,総竈数138うち本軒31・店借75・内貸屋32,ほかに蔵10,平安古町2丁目は間数260間,総竈数117うち本軒30・店借74・内貸屋13,ほかに蔵21があった。大区小区制の施行に伴って,町人屋敷地の平安古町1丁目・2丁目,武家屋敷地の平安古および南片河町内の石屋町を合わせ,平安古と称して現在の境域となる。明治12年河添村とともに連合町村区域を形成して戸長役場が当町内に置かれ,同17年には江向村外4か町1か村からなる萩南組に属した。明治16年の戸数642・人口2,417(県の統計百年)。明治6年,当町内満行寺筋に平安古小学が開校し,同13年に河添小学校と合併して協和小学校と改称,同15年に江向の萩陽小学校分校となった。同22年萩町,昭和7年からは萩市に属す。同40年,当町内に県立萩工業高校が設置された。同51年,当町の南西部が国重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194283 |





