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三田尻中関港
【みたじりなかのせきこう】


防府(ほうふ)市にある重要港湾。周防(すおう)灘に臨む。港域は佐波(さば)川が流入する大海(おおみ)湾から江泊半島までを含み,向島と江泊半島の内湾に当たる三田尻港と向島・西泊の内湾に当たる中関港からなる。慶長5年,毛利氏は防長2国移封の直後に三田尻に水軍を置き,同16年三田尻を根拠地と定めて大規模な軍港とした。商船の泊地も設けて港町が成立,江戸・大坂への米,大坂への紙運送が始まった。明暦3年から7年間,紙を長崎と博多へも運ぶ。元禄6年の台風によって田島沖で2,000石積以下の船舶34隻が難破,うち13隻は加賀船で,北前船の航行が盛んであった。三田尻港の廻船は,寛保元年31隻(地下上申),天保12年44隻(注進案),安政2年43隻(郡中大略)。入港船舶は港町の海岸地先に停泊したが,元禄5年自力開作ができて船の出入りが不便となり,同12年大開作が完成すると百間土手の基部を堀口の出口の所で湾入させ商船の錨地とした。維新以後軍港は廃止されたが,地の利を得た三田尻が商港として発展,塩を中心とする商港としての中関の繁栄は次第に三田尻に吸収された。塩専売法実施に伴い,明治38年三田尻塩務局(のちの三田尻専売支局),同42年三田尻塩業試験場が設置され,中関港は再び活況を呈した。その後,内地塩の生産不足を補うため,大正7年西泊に平釜による原塩再精工場を急設,同年内地塩の大量生産工場として向島製塩工場が洗川に設置され,中関港には原塩移入と精塩移出のため大型汽船が入港。昭和35年三田尻塩田が廃止されたが,360haの塩田跡地を中心に工業開発が進み,黒鉛電極・タイヤ・自動車などの工場が進出。同39年には周南工業整備特別地域の指定を受け,都市型企業中心の臨海工業地の海の玄関港として,三田尻中関港は大きく進展している。同60年の出入貨物量は534万2,151t,うち輸移出量384万4,409tで輸送機械が69.3%を占め,輸移入量は149万7,742tで砂利・砂・砂糖が43.2%を占める。外貿39.8万t・内貿494.4万t。入港船舶数5,915隻・281万5,709総t,1万t以上の入港船舶25隻。なお,港域内には第2種漁港の向島,第1種漁港の中浦,西浦の各漁港がある。また三田尻港から南東15km沖合いの野島へ,一日2便,45分で結ぶ定期船がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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