油谷町
【ゆやちょう】

(近代)昭和29年~現在の大津郡の自治体名。向津具(むかつく)半島および油谷湾沿いに位置する。菱海村・向津具村・宇津賀村と日置(へき)村の一部が合併して成立。合併各村の10大字に蔵小田を加えた11大字を編成。地名の由来は,油谷湾にちなむ。掛淵川・久富川・大坊川下流の沖積地に耕地が開ける。人口は合併当時約1万7,000,昭和60年1万800。中心地である新別名は昭和36年に油谷小学校が新設され,同44年に町役場が新築移転,引続き油谷郵便局・電報電話局・山口銀行油谷支店などの金融通信機関が進出,中央公民館も同48年に新築移転。65歳以上の全人口に占める割合が昭和35年8.7%,同55年16.8%。世帯数は3,200台を維持している。産業は昭和35年第1次産業就業者は農業48.8%,漁業18%,同55年農業42.8%,漁業15.6%。第2次産業就業者は昭和35年9.6%,同55年21.5%,第3次産業就業者は昭和35年22.8%,同55年35.7%。農家戸数は同55年1,341うち専業は135戸。経営規模は平均耕作面積約1haで,農家戸数の51.5%が1ha未満。漁業就業者は昭和35年全町の18%,同55年15.6%,うち30%は兼業である。漁船は3t未満が594隻で68.8%,沿岸漁業が主体で一本釣り・延縄漁が51.6%,その他底引網・敷網・刺網の漁が行われている。各漁港の整備,大型魚礁の造成のほか,ハマチ・クルマエビ等の養殖も行われている。主要道路に定期バスが運行されている。大正9年より村(町)営として始めた向津具の大浦・久津港と豊北(ほうほく)町粟野港間の渡海船運航は赤字経営を続け,町財政上の負担になっている。雨乞山系から向津具半島にかけての丘陵地帯は地滑り地帯で,昭和34年集中豪雨による大災害発生以来防災工事が進められた。同49年大坊川治水ダムが完成。防災無線全戸設置をめざして,昭和60年度より3か年計画で工事が進められている。海岸線は46kmに及び,昭和44年西長門海岸県立自然公園に指定され,津黄(つお)の竜宮の潮吹(国天然記念物および名勝),向津具半島突端の俵島(国名勝および天然記念物)がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194877 |





