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天石門別八倉比売神社
【あめのいわとわけやくらひめじんじゃ】


徳島市国府町矢野にある神社。延喜式内大社。旧県社。祭神は大日孁尊。旧称は杉尾大明神。現在も地元では杉尾さんと呼ばれ親しまれている。気延山南端に位置するがもとは東嶺にあったという(阿波志)。当社の鎮座する一帯は神山と呼ばれ,古来より神聖な場所として信仰が篤かった。鮎喰(あくい)川下流域の谷あいにあたるこの付近は古墳が散在し,銅鐸も出土している。創建年代は未詳。「続日本後紀」承和8年8月21日条に「天石門和気八倉比咩神」を正八位上から従五位下に叙したことがみえる。その後貞観7年2月27日に従四位下,同13年2月26日に従四位上,同16年3月14日に正四位下,元慶3年6月23日に正四位上へ進階した(三代実録)。「延喜式」神名帳名方郡条では「天石門別八倉比売神社〈大,月次新嘗〉」とみえる。さらに天慶3年に藤原純友の乱平定の祈祷に効があったとして正三位に叙せられた(長寛勘文/群書26)。その後延久2年に,忌部神と天石門別八倉比売神に対する祈年祭・月次祭などの奉幣を阿波国司が怠っているため,太政官符が出され,神祇官でこれらの幣物を受取り確実に奉幣すべきことを国司に命じている(忌部神天石門別八倉比売神祭典文書/徴古雑抄1)。中世の様子は未詳。近世には蜂須賀氏が崇敬し,玄米500石を奉納して国土の安全を祈願したという。寛保神社帳には「矢野村 正一位杉尾大明神 神主矢野村富崎播磨守」とみえ,末社として矢野村に松熊大明神・箭執大明神が記されている(続徴古雑抄1)。現社殿は江戸期に矢野出身の藍商,盛六郎右衛門が寄進したと伝える。明治3年天石門別八倉比売神社と改称,同5年県社に列した。例祭は10月13日。なお延喜式内大社天石門別八倉比売神社を徳島市一宮町の一宮神社に充てる説もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7195075