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安楽寺
【あんらくじ】


美馬郡美馬町中山路にある寺。浄土真宗本願寺派。千葉山妙音院と号す。本尊は阿弥陀如来。町域南端を東流する吉野川左岸の河岸段丘上に所在し,近隣には真言宗御室派の願勝寺のほか,浄土真宗本願寺派の西教寺・林照寺・立光寺が軒を並べ,寺町を形成する。創建由緒については未詳の部分が多いが,古くは天台宗に属し,真妙寺あるいは妙音院と号したという。鎌倉期の建長11年(正元元年),上総・下総両国の守護千葉常重は,執権北条氏に追われ,姻戚の阿波国守護の小笠原長清を頼って妙音院に入り,寺を浄土真宗に改めた。山号は自己の姓字,院号は旧寺名である。長清の子長房は寺領1,000貫と梵鐘を寄進したという。永正12年火災に遭い,一時現在の麻植(おえ)郡山川町や讃岐仲多度郡財田村に移ったが,同17年三好長慶の援助で旧地(現在地)へ復帰した。三好氏の保護を受けた取立寺院の1つとされ,「阿州三好記大状前書」では寺領13貫文を与えられた門徒宗(浄土真宗)頭の寺院で,末寺15を擁した(以上,安楽寺由緒覚・県史2など)。戦国期には四国のほぼ中央に位置する立地条件から浄土真宗の教線拡大の拠点となり,四国全域に末寺をふやしていった。元亀元年に始まる大坂石山本願寺と織田信長の紛争(石山合戦)では,有力末寺であった安楽寺にも廻状が送られ,諸物資の援助を求められている(安楽寺文書/県史2)。近世,徳島藩主として蜂須賀氏が入国すると寺領75石を受けた。寛永年間に提出された「安楽寺末寺帳」によると,本山を京都西本願寺,本寺を京都興正寺とし,阿波で21,讃岐50,伊予5,土佐8の計84末寺の外,周囲に8か寺の勤番寺や隠居寺を持ち,真宗では四国最大の寺として中本寺の称号を受けた。江戸期は本寺―中本寺―末寺―孫末寺の間に厳しい本末制度があり,有力末寺は本寺の直末を希望して,紛争が絶えず,離末金を出して解放される寺が増加し,明治維新には末寺数19に減少した(県史4)。宝暦~安永年間頃,讃岐国18末寺の離末金で建立したという朱塗りの山門をくぐると,正面に11間四面,高さ12間の総けやき造りの豪壮な本堂は昭和12年兵庫県神戸市在住の篤信者の寄進による。本堂のほか,庫裡・書院・鐘楼などの堂宇がある。寺宝として,宗祖の親鸞・蓮如・顕如の筆になる3幅の六字名号があり,石山合戦関係の古文書記録類,本末寺間の交渉文書など2,000余通に及ぶ寺蔵文書がある。毎年11月22日から7日間行われる報恩講には,郡内外や香川県からの参詣客でにぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7195122