100辞書・辞典一括検索

JLogos

27

夷山城
【えびすやまじょう】


城とも呼ぶ(阿波志)。中世の城郭。徳島市八万町の夷山に所在。最初の築城年代は不明。国鉄牟岐(むぎ)線二軒屋駅の南西方約1.2km,標高約20mの小山に位置する。城名の由来は城山の麓に蛭子(えびす)神社があったことによる。山はやせ尾根で,急斜面である。山の周囲には往時の水濠跡と思われる池や用水堀が所々に残っている。山上には南北31m・東西14mの曲輪があり,周りは石垣で固められている。最高所には忠魂碑がある。城の南東側に円福寺があり,城主の居館はこの付近にあったと考えられる。江戸期までは同寺に隣接して蛭子神社があったが,明治初期の神仏分離令によって徳島市の通町(とおりまち)に移転した。城主については,南北朝期に飯尾氏がいて,北朝に属し,南朝方の一宮城を攻めたとされている(県史)。その後,戦国期には仁木日向守がいた(阿波志・昔阿波物語)。のち当城には篠原佐吉兵衛がいたが,永禄5年に泉州久米田(大阪府岸和田市)の合戦で三好実休らとともに討死してからは,その子篠原右京を家臣庄野和泉守が養育したが,やがて城は和泉守のものとなった。天正年間,一宮長門らとともに土佐の長宗我部元親に降った。同10年,三好山城守笑岩が阿波に下向するに及び,長宗我部方の番兵および庄野和泉守らは逃亡し,三好方はこの城に番兵を置いた。同年の中富川の合戦後,城は再び長宗我部氏のものとなり,元親は一宮城主一宮長門守成祐をこの城に呼び寄せ謀殺した(阿波志・城跡記)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7195341