勝浦町
【かつうらちょう】

(近代)昭和30年~現在の勝浦郡の自治体名。勝浦川中流域,勝浦川盆地からそれに続く山間部に位置する。横瀬町・生比名村が合併して成立。合併町村の旧大字を継承した8大字を編成。昭和44年久国字久保田に町役場の新庁舎建設。合併時の世帯数1,885(うち農業1,188・商業220・工業11など)・人口1万349(男5,173・女5,176),ほかに小学校3・中学校2,田485町余・畑382町余・山林2,480町余(勝浦町後史)。世帯数・人口は,昭和35年1,943・1万93(男4,946・女5,147),同40年1,951・9,517(男4,700・女4,817),同45年1,915・8,640(男4,265・女4,375),同50年1,939・8,305(男4,090・女4,215),同56年1,945・8,085(男4,005・女4,080)。町産業の基幹ともいえるミカン栽培は,昭和33年には栽培面積676ha・収量1万4,692tであったのが,同43年には1,310ha・2万8,500tと急成長し,勝浦みかんの名声を高めた。しかし雪害による不振やミカン価格の暴落など,うち続く困難のなかで昭和40年代後半にはミカン栽培は転機を迎え,その対応として工場誘致や輸出用ミカンなど新たな販路の開拓などが町によって取り組まれ,またより有利な果樹への転作が栽培農家によってなされ,家畜の多頭飼育に取り組む農家も増えた。明治30年代には地内の主な橋の架設が進んだほか,県道の改修もほぼ完成。一方林業,特に薪炭の生産は急速に減少した。昭和41年生比奈・横瀬両中学校は統合され勝浦中学校となり,久国に校舎を建設。同44年阿波勝浦電報電話局設置。同45年勝浦町住民福祉センターが完成,同46年には農業技術センター設置。定期バス路線は,昭和30年代には一層充実され増便されたが,同40年代以後は自家用車におされ減便された路線もでた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7195630 |