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金刀比羅神社
【ことひらじんじゃ】


鳴門市撫養(むや)町木津字居屋敷にある神社。旧郷社。祭神は大物主命・猿田彦命。古くは金毘羅大権現と称し,近隣10か村の氏神であった(寛保神社帳/続徴古雑抄1)。木津山南麓に位置する。古くから海上安全の祈願が多く,徳島市勢見町・川内町の金刀比羅神社とともに「阿波の三金毘羅」の1つとして親しまれている。慶長6年林崎城主益田八右衛門が崇敬社として創建し,その後徳島2代藩主蜂須賀忠英が再建したと伝える。歴代藩主が深く崇敬し,寛永19年以来,神事料として毎年米4石および幣竹5本束1把,神事当人籠家垣竹7本等の寄進があった。祭式は益田八右衛門寄進の金紋五七桐陣太鼓・唐金華山軸および天神冠を以て行った。寛保神社帳には「木津神村 金毘羅大権現 別当木津村長谷寺 神主同信濃大夫」と記され(続徴古雑抄1),藩政期には木津山麓の長谷寺が別当として祭事を掌っている。長谷寺は板野郡矢武村(現板野郡板野町)にある荘厳院地蔵寺を本寺とする真言宗寺院(寛政3年阿波国古義真言宗本末帳/江戸幕府寺院本末帳集成)。明治2年金刀比羅神社と改称,その後郷社に列した。10月16日に行われる祭礼相撲は,「花相撲」として江戸期から庶民に喜ばれた。「阿波名所図会」には「毎年十月十日の祭事には,近国より相撲あつまりて,賑ふ事おほかたならず」と記され,盛況な様子がうかがわれる。当時の神事場(相撲場)は今も残っている。往時は国内の力士はもとより淡路・大坂・讃岐等の力士も多く参加して,阿波相撲の伝統を誇っていた。一時中断していたが昭和49年に復活,県下の実業団相撲大会となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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