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白人神社
【しらひとじんじゃ】


美馬郡穴吹町口山字宮内にある神社。旧村社。祭神は伊弉冉神・瓊々杵尊・天照大神・豊秋津姫命・崇徳天皇・源為朝。古くは神明宮・白人大明神と称した。町の中央部を北に流れる穴吹川中流の山間部に位置する。もとは現社地西南の丘上にあり,周囲に石堤を築き3か所に門があったという。仁賢天皇の時代の創建とも伝えるが(美馬郡口山村白人明神由来/続徴古雑抄1),詳細は未詳。保元の乱後讃岐に流された崇徳上皇を慕ってやってきた源為朝が当社に参拝・祈願して武具を奉納した。その際村人たちが為朝の言葉に従って現社地に遷宮し,崇徳上皇の霊を合祀したという。その後大坂夏の陣に従軍した稲田修理が当社に祈願し軍功を奏したので,江戸期には徳島藩家老稲田家の守護神として為朝を副祭し,斎田を納め,代々神馬・武具・灯籠・絵巻等を奉納し,また社殿の改修築を行った。慶長7年4月10日銘の棟札には「大願主……領主施主共稲田小八郎」とある(新編美馬郡郷土誌)。また元禄2年には同じく徳島藩家老山田織部が太身槍・白銀を寄進している(同前)。寛保神社帳(続徴古雑抄1)によると,別当は口山の浄土寺,禰宜として岡山志摩・芳大夫などの存在が知られる。浄土寺は大覚寺末の穴吹村享保寺を本寺とする真言宗寺院であった(寛政3年阿波国古義真言宗本末帳/江戸幕府寺院本末帳集成)。明治3年白人神社と改称,村社に列した。その後明治43年に20余社を合祀した。武運の守護神として広く崇拝され,近代の戦前・戦中には武運を祈願する多くの参拝者があった。当社では昔から75人の「宮人」が氏子として奉仕したが,中世からは木像を造って社殿の脇に侍らせ,宮人自身は農業に従事して,遷宮・お弓・神輿渡御など祭典の際に斎戒して奉仕した。これらの氏子は他家をまじえず現在も奉仕を続けており,その家の屋号には「ネギ」「カンヌシ」などが残っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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