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徳島駅
【とくしまえき】


徳島市寺島本町西2丁目にある国鉄徳島本線の駅。国鉄牟岐線の起点,高徳本線の終点でもあり,東四国地方の拠点である。明治32年2月16日,徳島鉄道の徳島~鴨島間開業に伴い開設。乗降客数は,1日平均約2万6,100人(昭和59年度)。開設当時の徳島駅は敷地面積2,430m(^2)余,駅舎は間口32m・奥行12mの木造瓦葺寄棟造で,中央に車寄せが設けられ,周囲に回廊を巡らせる。開業時には上下13往復の列車が発着。明治33~39年度の同駅年平均乗客数は15万2,832人,発送貨物量1万6,716tに上る。同40年9月1日,徳島鉄道(徳島~船戸間)は国に買収されのち徳島線となる。これに伴い帝国鉄道庁神戸営業所徳島派出所が設置されるとともに,当駅には徳島車掌詰所・徳島保線区を設置。翌41年12月5日同派出所は廃止され,新たに西部鉄道管理局(神戸)徳島出張所を設置。同管理局は大正2年5月神戸鉄道管理局,同4年6月再び西部鉄道管理局となる。明治43年5月18日,徳島機関庫を設置。翌44年4月13日,徳島線の船戸以西建設のため徳島建設事務所を設置。大正2年4月20日,阿波国共同汽船会社が徳島~小松島間に線路を建設し,鉄道院が借り受け営業開始。翌3年3月25日,徳島線の川田(旧船戸駅付近)~阿波池田間開業に伴い徳島本線とし,同年9月15日徳島建設事務所を廃止。大正6年7月15日,徳島~小松島間と徳島~阿波川島間でガソリンカーの運転が開始される。同年9月1日,徳島~小松島間は国に買収され小松島線となる。同年度の乗客数は44万7,870人,発送貨物量は5万3,804tで,以後同12年度には104万8,760人・7万3,429t,同15年度114万1,959人・8万5,561tに上る。大正13年4月1日,徳島通信区を設置。昭和2年1月20日,徳島機関庫を廃止し,小松島機関庫を設置したほか,同4年11月8日,徳島車掌所を小松島に移す。同11年3月25日,再び徳島車掌所を設置。同10年3月20日,高徳線引田~板西(現板野)間,阿波線吉成~徳島本線佐古間が開業し,高徳本線が全通。翌11年7月1日,阿南鉄道を国が買収し牟岐線となる。同年9月11日,小松島機関区徳島支区を設置。牟岐線編入以後,乗降客数・発着貨物量の増加が顕著となり,駅構内拡張のための期成同盟会が結成され,用地も買収された。しかし,駅舎の改築は第2次大戦による建設資材の不足により中止された。同17年5月6日,小松島検車区徳島派出所が,同年9月11日,徳島出張所がそれぞれ廃止。同20年7月4日,空襲によって同駅も焼失した。戦後,四国鉄道局は間口160m,奥行30mの木造2階建ての駅舎建設,乗降ホームを2本増設して7本とするといった徳島駅復興計画を策定したが経済状況などから進展を見なかった。同21年には木造平屋建ての仮設駅舎が建設され青空駅をようやく解消した。現在の駅舎は昭和25年1月,総工費1,200万円(うち400万円は徳島市の地元負担金を寄託)で着工し,翌26年4月29日に落成した。同時に駅前広場の拡張整備が進められ,バラックや露店が林立するやみ市は同27年には完全に撤去され,跡地にはバス乗降場・タクシー駐車場をはじめ歩道・緑地帯も設けられた。同28年10月24日には高知―阿波池田―徳島間にC58けん引のお召列車が運転される。同34年9月22日,高松~徳島間にDC準急阿波が,同37年4月12日,小松島港~高知間に準急阿佐が,同年7月18日,高松~牟岐間に準急むろとが,翌38年10月1日,徳島~高知間に準急よしの川がそれぞれ新設。同41年3月5日に準急列車は急行列車に種別変更している。同36年4月1日徳島~中田間を牟岐線に編入,中田~小松島間を小松島線とする。同36年2月20日小松島機関区を廃止し徳島気動車区を設置。小松島客貨車区徳島支区を徳島派出所とする。同38年2月1日輸送力増強をはかるため徳島~佐古間が四国線内初の複線区間となる。同60年3月以降県内唯一のコンテナ扱い駅である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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