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西尾村
【にしおそん】


(近代)明治22年~昭和29年の麻植(おえ)郡の自治体名。吉野川下流域の南岸平野の南端に位置する。東西3.6km・南北5km,面積8.63km(^2)。飯之尾(いのお)・敷地・西麻植の3か村が合併して成立。飯尾・敷地・西麻植の3大字を編成。村名は西麻植・飯尾の合成地名による。役場は敷地境の西麻植に設置。明治24年の戸数929・人口5,251(男2,594・女2,657),寺4,学校2,水車場2,船8(徴発物件一覧表)。大正12年八幡町粟島を編入,4大字となる。明治7年に創設された西麻植小学校は当初民家を借りて授業を始め,明治13年に校舎を新築し麻植高等小学校に属したが,同27年に分離独立して西尾高等小学校となった。同30年に西麻植尋常高等小学校と改称,同35年に現在地の字絵馬堂に新校舎と校庭を設置して移転。その後校庭の拡張や校舎の改築を重ね,昭和29年西麻植小学校と改称。飯尾敷地小学校の前身は,明治8年頃敷地村河辺八幡境内にあった常設芝居小屋にできた敷地小学校で,同校は同10年頃に宮の北の神の木神社境内に校舎を建てて移り,同年頃飯尾村唐人(かろうと)の民家に飯尾分教場を設置。同分教場は明治25年に独立して,飯尾尋常小学校となる。同28年に両校を合併して,飯尾字北門の現在地に校舎を建てて移り,飯尾敷地尋常小学校と改称。明治38年高等科,大正3年農業補習学校,同15年に青年訓練所をそれぞれ併置。昭和期に入って校舎の増改築を重ね,昭和29年飯尾敷地小学校となった。徳島鉄道により明治32年鴨島~徳島間に鉄道(現国鉄徳島本線)が開通,同年西麻植駅創業。吉野川改修による築堤は,明治40年工事に着手,昭和2年全工事が完成。この改修によって沿岸住民は,大洪水の脅威から解放された。飯尾の石原六郎は,大正4年私費で呉郷文庫を,同6年には呉郷育英社を創設して,地域の教育に貢献。西麻植の実業家工藤鷹助は,昭和3年に江川遊園地を造るために私費を投じて工事にかかり,同6年に完成させ,一般に無料解放した。昭和5年西麻植で農民組合小作争議発生。同年西尾郵便局が敷島地区に開局。明治5年に川島郵便局役所が開設され,以後当村は川島郵便役所の集配区域であったが,昭和30年に集配の統合が行われ,西麻植は鴨島局の集配区域に変更された(鴨島町誌)。世帯数・人口は,大正9年968・4,393(男2,123・女2,270),昭和15年934・4,951(男2,513・女2,438)。昭和26年には,世帯数1,218・人口6,861(男3,382・女3,479),職業別戸数は農業728・商業46・工業12,その他432,産物は繭15t・米約3,000石・麦3,100石・タマネギ370t・大根約450t,牛300・馬30・乳牛15(西尾村統計記録)。なお昭和26年から葉煙草の耕作が許可された。同年の児童・生徒数は小学校877・中学校424・幼稚園121。同27年に西尾中学校は鴨島中学校と合併し,江川沿いの鴨島・西麻植境の現在地に移転した。昭和29年の世帯数1,200・人口5,921。同年鴨島町の一部となり,村制時の4大字は同町の大字に継承。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7196897