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八幡神社
【はちまんじんじゃ】


阿波郡市場町八幡字町屋敷にある神社。旧村社。祭神は応神天皇・神功皇后・式内扇弥命ほか。古くは秋月八幡宮・正八幡宮と称した。吉野川北岸,板野郡土成(どなり)町との境付近に位置する。当地は「和名抄」にみえる阿波郡秋月郷にあたり,秋月郷11か村の総鎮守として崇敬を受けた。社伝によると白鳳期に国家安全・五穀豊穣を祈願して創建されたという。中世には秋月城主秋月氏が氏神として崇敬を寄せた。また当社氏子区域である日開谷・尾開・切幡・秋月・日吉・成当・大野島・山野上・浦池・粟島・伊月の諸村は秋月荘の範囲にあたり(土成町史),当社は秋月荘の鎮守であったと思われる。室町中期に京都の北野天満天神法楽のために行われた北野社一切経の写経者に「阿波国秋月庄八幡宮」の住僧「良密」の名がみえる(大日料7‐16)。西日光といわれる耕三寺(広島県瀬戸田町)は「奉鋳造 大阿波国秋月庄八幡宮鐘事 大檀那梵光寺守恪・右京大夫頼元・兵部少輔義之……応永二暦〈乙亥〉八月十二日」という銘文をもつ鐘を有す(耕三寺鐘/日本古鐘銘集成)。細川氏が当社に寄進したもので,細川氏が崇敬を寄せていたことがうかがわれる。梵光寺は別当寺であろうか。また吉野の安禅寺の鰐口銘には「阿州秋月八幡宮常住也 大工蔵吉 永享十年戊午八月十五日神主盛宗敬白」とある(大和国安禅寺愛染明王鰐口銘/徴古雑抄2)。どちらも戦国期に三好氏が当社から持ち出したものといわれる。蜂須賀家政は阿波入国後,社域付近の3畝3歩を町入屋敷として八幡町と呼び,諸役御免とした。元禄16年に再興され,以後正八幡宮と称するようになった。寛保神社帳に「八幡村 正八幡宮 神主八幡町大和」とみえる(続徴古雑抄1)。明治維新後八幡神社と改称,明治8年村社に列した。大正5年に粟島の八条神社など8社を合わせて粟島神社とし,境内に祀った。例祭は10月27日。もとは境内に戦国期に旗がまきついて切幡城主森飛騨守に敗戦を知らせたという旗懸けの松があったが,昭和30年頃台風で倒れ枯れてしまった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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