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羽浦神社
【はのうらじんじゃ】


那賀郡羽ノ浦町中庄字千田池にある神社。旧郷社。祭神は誉田別命ほか32柱。もとは八幡宮と称した。観音山と呼ばれる小高い丘陵の西麓に位置し,東側に観音山古墳がある。創祀は未詳だが,寛保神社帳は「万寿元年八月十五日山城国自男山奉勧請」と記し(続徴古雑抄1),一方「阿波志」は「万治元年置く」とする。江戸期には徳島藩主蜂須賀氏より代々崇敬された。万治4年に3代藩主蜂須賀光隆が社参,武運長久を祈願し毎年米5石を寄進した。寛保神社帳に「中庄村 八幡宮 別当中庄村挙正寺 神主同村惣大夫」と記されている(続徴古雑抄1)。明治43年村内の23社を合祀して羽浦神社と改称,昭和12年郷社に列した。例祭は10月15日。合祀された23社の中に「延喜式」神名帳那賀郡条にみえる「和耶神社」がある。祭神は饒速日命の子孫,淡夜別命だと伝え,もとは宮倉背戸田にあった。「阿波志」に「和耶神社 伊弉冉尊を祭る 宮倉村に在り 土俗今熊野権現と称す 別当能路寺 本願修験・聖蓮寺 妙覚寺」と録し,さらに「景行帝諸国に宮倉を建つ 当地則ち屯倉の蹟あり」と皇室ゆかりの土地であったことを付記している。明治の頃まで毎年1月7日夕暮れに山伏が社前で法楽読経して法螺をふきたてると,群衆がいっせいに「ワヤ,ワヤ,ワヤ」と神名を三唱して豆を投げて拝む風習が伝えられていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197040