100辞書・辞典一括検索

JLogos

47

半田
【はんだ】


旧国名:阿波

古くは八田山と称した。吉野川中流右岸に位置する。南は四国山地北斜面,北は吉野川。吉野川に沿う沖積平野と洪積台地,半田川周囲に展開する盆地状の洪積台地に立地する。地名は,中世に八田山(荘)に属していたことから墾田(治田)(はりた)に由来するといわれる(半田町誌)。小野上西の天神丘からはサヌカイト製の石鏃や剥片が採集され,現在はなくなっているが同丘上には円墳があり,美馬町の段の塚穴古墳と同じく奥壁に石棚を設けていたことが知られる(同前)。また,字小野の敷地お蔵藪の中にも横穴式古墳があったという(同前)。延喜式内小社の建神社は字逢坂の建神社に比定され,波爾移麻比弥神社や字中鳥の伊射奈美神社も式内社といわれている。天保11年東山山麓台地の天王社からは経筒が出土している(同前)。南北朝期八田山一帯は南朝方が席巻し,八田山が南朝武士に恩賞として与えられたことを示す文書が4通見られる(同前)。当地は新田義貞の弟脇屋義助の子義治・義広らの活動の場であり,字中藪には新田神社があった。中世城跡としては天神丘に古城があったと推測されている。天神丘北斜面と字松生には中世の板碑がある。戦国期には吉野川の川中島の中鳥城主久米刑馬が土佐の長宗我部氏に与し,対岸の重清城主小笠原豊後守長政父子を謀って殺し,美馬郡一帯の三好氏の勢力を排除するきっかけをつくった。
半田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
半田村(近代)】 明治22年~大正5年の美馬郡の自治体名。
半田町(近代)】 大正5年~現在の美馬郡の自治体名。
半田(近代)】 明治22年~昭和31年の大字名。
半田(近代)】 昭和31年~現在の半田町の地区名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197069