樋山地
【ひやまじ】
旧国名:阿波
平安期に飛山寺,中世には火山寺と書かれていたといわれ,江戸期に樋山地・樋山路となった。吉野川下流右岸の山岳地,標高580mの山腹に位置する。地内を流れる谷川は,飯尾(いのお)川の源流である。当地は東山に属していた。天正14年に川島城主林道感に背いた東山の浪人与右衛門を東山の地侍後藤田六郎右衛門が討伐し,その功により樋山路を給されたので,のち後藤田氏の知行地として,改めて東山に属した(麻植郡誌)。
【樋山地村(近世)】 江戸期の村名。
【樋山地(近代)】 昭和30年~現在の鴨島町の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197177 |