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別宮八幡神社
【べっくはちまんじんじゃ】


徳島市応神町吉成字中原堺にある神社。旧郷社。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。素戔嗚命・倉稲魂命・罔象女神を合祀する。吉野川北岸に位置する。もとは別宮浦(現川内町上別宮)にあったが,吉野川のたびたびの水害により現社地へ遷座した。万寿2年別宮浦に山城国石清水八幡宮を分祀,石清水八幡宮領萱島荘の鎮守として奉斎したことに始まる。別宮八幡の称は,石清水八幡宮の別宮であることにちなむ。その後,萱島荘は細川氏領となり,文安4年四国管領讃岐守細川勝元は,社殿を改築するとともに2,000貫文を献納し,神護寺を建立して祭事を執行させた。さらに三好義賢は16坊を置き社殿を改築し1,000貫文を献納するなど,歴代領主が崇敬を寄せた。天正年間長宗我部元親の兵乱で焼失したが,蜂須賀氏入国後社殿・寺坊を再建,社頭も旧観に復した。蜂須賀氏は,阿波国北部の武運長久を祈願して毎年参拝・奉幣を行い,社領21石を付した。「阿波志」に「八幡祠 中原村に在り 別宮と称す。筑前別宮を迎える也 旧別宮浦にあり其地没して河と為る因て移す。三好氏刀鎗及旗地六段を納む別に七貫を納む 今田二十石」とあり,ここでは石清水八幡宮ではなく,筑前別宮を勧請したとなっている。筑前別宮については未詳。また寛保神社帳には「吉成村 別宮八幡宮 別当吉成村神宮寺覚蔵院 神主榎瀬村九鬼因幡神子三人有」とある(続徴古雑抄1)。神宮寺は京都大覚寺末の瑞川院(徳島市応神町吉成)を本寺とする(寛政3年阿波国古義真言宗本末帳/江戸幕府寺院本末帳集成)。本尊は毘沙門天,もとは別宮浦にあったが文禄年間に中原村に移った(阿波志)。明治7年郷社に列した。例祭は10月15日。また旧暦2月17日の春祭りには農具市が立ち太々神楽が奉納され,旧暦6月28日の夏祭りでは悪病除湯立神楽が奉納される。応神の地名は明治22年古川・中原・吉成・貞方・西貞方の5か村合併の折,当社の祭神応神天皇の名に因んで名づけたという。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197289