100辞書・辞典一括検索

JLogos

16

八坂神社
【やさかじんじゃ】


海部郡宍喰(ししくい)町久保字久保にある神社。旧郷社。祭神は健速須佐之男命・稲田姫命・八柱御子神。宍喰八坂神社とも称する。古くは祇園と称し,「日本三祇園の1社」と称えられた。疫鎮の神として広く崇敬されている。市街地の北はずれに位置する。もと岡ノ山にあったが慶長元年現社地に移転したものである。創祀は未詳。鎌倉初期の建永~建暦年間に大般若経が奉納されている。その後室町末期の大永6年に社殿再建があった。棟札には「棟上南 閻浮提大日本国阿州路海部郡完咋庄祇園殿建立本願本木五郎左衛門信久 時ニ大永六年丙戌十一月十五日全将謹書 大檀那藤原朝臣下野守持定 遷宮本貝(具カ)寺住持比丘義周」とみえる(海部郡誌)。藤原持定は当時の祇園山城主,本木信久はその一門であった。本貝(具か)寺は別当真福寺のことである。また天文17年には同族で愛宕山城主藤原孫六郎正信が造営を行っており(同前),領主の崇敬を受けていたと思われる。江戸期に入り,享保3年宗源宣旨を以って,正一位祇園牛頭天皇と称するようになった。寛保神社帳には「久保村 祇園 社僧宍喰浦真福寺」と記されている(続徴古雑抄1)。真福寺は大日寺(宍喰町宍喰浦)を本寺とする真言宗寺院(寛政3年阿波国古義真言宗本末帳/江戸幕府寺院本末帳集成)。もとは本具寺愛染坊と称し久保の地にあったが,慶長元年に当社が現社地へ移転するのに伴って真福寺と改称,同3年に寺地を宍喰浦に移した(海部郡誌)。明治3年八坂神社と改称,同4年郷社に列した。現本殿は宝暦10年の造営。高知県室戸より徳島に至るまで広く寄付を募り,起工から5年を要したという。向拝付流造のこの建築は当時の京都一流の名匠の手によるもので,その彫刻(祭神健速須佐之男命の八岐大蛇退治)は,精巧で美術上価値が高い。7月17日に行われる例祭の祇園祭は奉納煙火が盛大に打ち上げられ,海部郡内はもとより高知県室戸方面から参集する人々でにぎわう。また,大山・小山の山鉾・団尻・関船等が祇園通をねり歩き,子供たちによる古式豊かな特殊神事「お能」の奉納がある。なお社宝として春日の作とされる能仮面(翁・千歳・三番叟)を有する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197577