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八鉾神社
【やほこじんじゃ】


阿南市長生(ながいけ)町宮内にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は大己貴命ほか34柱。もとは八桙八幡宮・八桙大明神と称した。国鉄牟岐(むぎ)線阿南駅の西約4kmの所に位置する。後白河上皇領竹原荘の鎮守であり,広く崇敬された。創祀は未詳だが,「三代実録」元慶7年12月28日条で「八桙神」として埴生女屋神とともに従五位下から従五位上に叙された。「延喜式」神名帳那賀郡条には「八桙神社」とある。長寛元年勅願所となる。同年9月25日付の二品家政所下文によると「一院御領阿波国竹原野御庄鎮守八桙社神官等」に,天皇・上皇の長寿と二品家の加護,年貢輸送船の海上安全を祈願して,二品家から水田5反と金泥法華経8巻,阿弥陀経・般若心経各1巻が寄進されている(八鉾神社文書/平遺3268)。その後の社歴は未詳。江戸期にはかなり規模が縮小されたらしく,「阿府志」に「隣村の神社多くは爰の摂社ならんと,今は甚少社なり」とみえる(県史料2)。寛保神社帳には「宮内村 八鉾大明神 別当宮内村八鉾寺」とあり,末社として宮内村の奥山大権現・天神・大将軍・山神が記される(続徴古雑抄1)。八鉾寺は,那賀郡立善寺村の隆善寺を本寺とする(寛政3年阿波国古義真言宗本末帳/江戸幕府寺院本末帳集成)。明治維新後八桙神社と改称,明治5年郷社に列した。例祭は10月第2土曜・日曜日。旧暦10月27日に神衣市が開かれる。多くの文化財を有しており,その数は県随一といわれる。県下最古の文書である長寛元年9月25日付の二品家政所下文と付属する金泥法華経8巻は国重文。金泥法華経は寛文6年に徳島3代藩主蜂須賀光隆が改幀したとの奥書がある。主祭神大己貴命の立像はヒノキの一木造りで高さは108.8cm,衣冠俗形の姿で平安貴族を思わせる藤原期の作品で国重文に指定されている。同じく国重文の男神立像も一木造りで高さは81.2cm,衣冠俗形でかつては少彦名命と呼ばれ,大己貴命像と一対と考えられていた。また藤原期の木造男神立像3体,藤原末期~鎌倉初期の木造男神座像6体も衣冠俗形をしており,ともに県文化財の指定を受けている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197597