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山崎忌部神社
【やまさきいんべじんじゃ】


麻植(おえ)郡山川町山崎字忌部山にある神社。祭神は天日鷲命・津咋見命・天太玉命ほか。阿波忌部氏の祖神天日鷲命を祀る。当地は「和名抄」麻殖郡条にみえる忌部郷に比定される。創建年代は未詳。往時は黒岩にあったが,応永2年地震のため社地が崩れ現地に祀られるようになったという。明治4年「延喜式」神名帳麻殖郡条にみえる名神大社忌部神社が国幣中社に指定されたが,その所在地については諸説あった。同7年政府の調査によって小杉榲邨説が採用され,当社が忌部神社に決定。そして翌8年より同14年まで官祭が執り行われた。ところが同14年1月7日,美馬郡西端山村(現貞光町西端山)の五所神社を忌部神社と改定,10月19日同地に奉遷され,当社は明治25年以後神社明細帳からも削除されてしまった。しかし明治18年には神社の正蹟争いをさけるため,新たに徳島市勢見山(現二軒屋町)に国幣中社忌部神社を創建し,遷座鎮祭した。当社は大正8年神社明細帳に再び編入され天日鷲神社と称した。その後昭和42年氏子の熱望により山崎忌部神社と改称し今日に至っている。境内にある鹿服(あらたえ)織殿跡は大正・昭和の大嘗祭に古例に従って忌部氏後裔の三木宗治郎が荒妙を織って貢進した時の織殿の跡である。摂社の岩戸神社・建美神社・天村雲神社・淤騰山神社・白山比売神社・若宮神社・玖奴師神社の7社は,古来「七社参り」と称して毎年正月15日の未明全村あげて巡拝し,正月送りをするならわしであった。なかでも天村雲神社は,「延喜式」神名帳麻殖郡条にみえる「天村雲神伊自波夜比売神社」に擬せられている古社である。また岩戸神社には旧暦3月4日と6月30日の2度,中世忌部の市の名残といわれる農具市がたってにぎわった。その境内の大岩にはかつて吉野川がつくった甌穴がある。また岩戸池は麻晒(さらし)池ともいわれ,昔忌部の氏人たちが麻をさらしたところと伝える。なお昭和51年に忌部山一帯の古墳を発掘調査したところ,忌部式とよばれるこの地域独特の形式であることが判明,当地が阿波忌部氏の勢力圏の中心地であったことを裏づけた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197605