吉野町
【よしのちょう】

(近代)昭和32年~現在の板野郡の自治体名。吉野川下流左岸に位置する。一条町と柿島村の一部が合併して成立。西条・五条・柿原の3大字を継承。清流吉野川の北岸に位置し,この川により被害を受けることも多かったが,この川の恵みにより現在の繁栄がもたらされた。町名はこの吉野川畔に住む住民が栄えることを祈念して命名された。昭和32年の世帯数2,104・人口1万866,人口密度1.666,面積13.3km(^2)。昭和60年の世帯数2,650・人口9,488。昭和34年一条中学校と柿原中学校が統合,吉野中学校となり,西条字大西に開校。昭和30年後半から農業の多角経営化がはじまり,煙草耕作・養鶏が開始され同40年代には酪農が盛んになった。同45年稲作転換事業が出されてから,旧一条町地区ではイチゴ,柿原ではレタス作りがはじまり,特産物になった。同59年の栽培農家約160戸,年間約2,400tが吉野レタスの銘柄で県外に出荷。県道西条北島線の開通に伴い商店が増加した。サトウキビから阿波三盆糖を製造している事業所がある。昭和32年頃から繊維工場・ベアリング工場が誘致された。同55年の産業別人口の比率は第1次産業23%・第2次産業36.8%・第3次産業40.2%となった。昭和47年に広永に阿北消防組合が設置された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197663 |





