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庵治港
【あじこう】


四国の最北端をなす八栗半島の北西部,木田郡庵治町にある地方港湾。管理は庵治町。屋島湾に面する第2種漁港。南北に連なる約4kmの海岸に王の下・谷・浜・才田・新開の5つの漁家集落があり,港を取り囲むように人口約7,800人の庵治町の中心地を形成する。古くからの港で,水軍の根拠地として,源平合戦から室町・戦国期へと続く歴史を有し,庵治浦の漁師が豊臣秀吉から漁業権証を与えられたという記録がある。江戸期には廻船業も盛んであった。付近は好漁場に恵まれ,漁業が今日も盛んであり,明治以来,漁船数350隻前後で推移してきた漁村である。港の歴史は,約200年前の絵図によると王の下集落の王子神社下に小規模の防波堤が築かれている。明治に入って,その防波堤を延長し,海岸が埋め立てられ,魚市場や倉庫などがつくられた。明治26年頃になると,石材や薪の積出しが盛んになり,南側の新開には石船が,北側には漁船が集まるようになった。大正期には港内の浚渫とその土砂による埋立てが行われ,大正14年に漁業組合が1,428坪(4,712m(^2)),昭和3年には産業組合が917坪(3,026m(^2))を埋め立てた。さらに昭和初期には新しく70間(127m)の一文字防波堤が完成した。第2次大戦後は庵治港港湾振興協会の手によって,港内の浚渫と埋立て,護岸工事が行われ,才田港の形も整った。かつて石船の港だった新開港は昭和44年,港内をほとんど埋め立てられて庵治石工団地に変わった。さらに昭和55年には才田と新開の西側海岸18haが埋め立てられ,岸壁の増加と水産・石材関係の工場用地がつくられ,港湾地域の近代的脱皮が図られている。近年は漁業も大きく変化してきた。かつてのタイ縛り網やサワラ流し網などの大型漁業が姿を消し,かわってイカナゴ込し網やエビ・カレイなどの小型底引き網などが盛んになってきた。庵治の港には圧力を利用して船からイカナゴを吸い上げるフィッシュ・ポンプの設備があり,ハマチの餌になるイカナゴなどの冷凍庫の施設が海岸に立ち並んでいる。漁獲量は1万2,834t(昭和56年)と県下第1の水揚高であるが,そのうちの約90%に当たる1万1,703tはイカナゴが占める。かつての高級魚は大きく減少している。一方,昭和30年代後半からクルマエビ・フグ・ハマチなどの養殖漁業は盛んになり,今日では庵治町における漁業生産総額約32億円中(昭和56年),50%を超える17億円余りを養殖漁業が占め,つくる漁業に比重が移行してきている。昭和56年現在,漁業経営体250,従業者485人(最盛期),漁船数482隻となっている。庵治町には当港のほかに5つの小規模な漁港(第1種)があり,いずれも機能・施設も充実してきており,漁業の安定に大きな役割を果たしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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