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飯神社
【いいじんじゃ】


丸亀市飯野町山根にある神社。延喜式内社。旧県社。祭神は飯依比古命・少彦名命。讃岐富士とうたわれる優美な飯野山の西麓に鎮座する。山頂には磐座が,頂上近くには修験の行を思わせる岩場もある山である。当社近辺を含む飯野山周辺には,弥生時代や古墳時代の遺跡が多い。早くより開けた土器川沿いの人々が祀った神で,讃岐にふさわしい農業にちなむ神である。山の名は祭神名から生じ,山名を冠して飯山大明神と称したと「全讃史」に見える。往古は山上に鎮座し,中古に山腹に遷座,後年山麓に奉遷したと社伝はいう。「古事記」の伊弉諾・伊弉冉2神の国生みの条に,「次生伊予之二名島此島者身一而有面四……讃岐国謂飯依比古」とあり,「播磨国風土記」揖保郡飯盛山の条にも,「讃岐国宇達郡飯神之妾,名曰飯盛大刀自,此神度来,占此山而居之,故名飯盛山」と見え,祭神飯依比古命は讃岐国の国魂の神とされる。本県でこの神を祀る神社は当社のみである(長尾町の造田神社が,安政6年に讃岐国式内二十四社を境内に勧請し,境内社飯神社の祭神として祀ってはいる)。仁和4年従五位上の神階を授けられ(日本紀略),「延喜式」神名帳鵜足(うた)郡条に「飯神社」と見える。代々国司の崇敬が篤く,紀夏井は数回,菅原道真は常に参拝したという。境内社の菅原神社は,道真が帰任に際して自作の木像を奉納し,これを神体としたものという。天正年間兵火にかかり,元和8年再興,寛文元年本殿を改築する。江戸期の沿革は未詳だが,東二村の氏神であった(全讃史)。寛永17年の讃岐国中寺社領高書上写に見える「高六石五斗 宇足之宮」が当社かもしれない(新編香川叢書)。別当は真言宗法楽寺であった。明治初年村社に列せられ,大正10年県社に昇格した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197791