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宇佐神社
【うさじんじゃ】


高松市香西本町にある神社。旧郷社。祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。藤尾八幡宮などと称した。藤尾山に所在する。「讃岐国名勝図会」によれば,承久年間に香西左近将監資村が当地の守護神として,豊前国宇佐八幡宮から勧請したのが創祀という。「香西記」も嘉禄年間のこととして同様に記す。一方「全讃史」は藤尾八幡神社(高松市西植田町)の神霊を分祀すると伝えるが,現在当社にその伝承はない。はじめ笠居郷藤尾ノ原に鎮座したが,数年で磯崎山に移してその山名を藤尾と改称。香西氏は讃州藤家の一流で,中世には阿野(あや)・香川2郡を領する有力豪族となり,戦国期には主城として勝賀山に勝賀城を,居館として藤尾山の南に佐料城を構えた。しかし天正7年土佐の長宗我部元親の讃岐侵攻に備えて,城主香西佳清は居城を藤尾山に置き,そのため当社は近くの是竹山に移転したという(讃岐国名勝図会)。香西氏の滅亡により衰微した当社は,慶長年間に香西氏の支族植松彦太夫・住田入道浄光が願主となり,旧地の藤尾山に社殿を再建した。以後笠居郷の産土神として崇敬されたという。寛永17年生駒高俊改易時の讃岐国中寺社領高書上写に「高六石壱斗六升 笠井南ノ八幡」とあるのは,当社のことであろう(覚城院文書/新編香川叢書)。その後の藩主松平氏も社領を安堵したと伝える(讃岐国名勝図会)。別当は真言宗の金亀山神宮寺。不動明王を本尊とする。本来不動寺と称したが,磯崎山への当社の移転に際して別当となり,寺名を改めたという(同前)。明治維新で神宮寺は廃寺となり,明治6年宇佐神社と改称,郷社に列した。12月15日に庭燎祭があり,ミカン焼を行う。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197909