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宇夫階神社
【うぶしなじんじゃ】


綾歌郡宇多津町宇多津にある神社。旧県社。祭神は大己貴命・豊受大神。古くは小烏大明神と称した。青ノ山の北麓に位置し,近世に宇多津塩田が発達するまでは,山麓までが海だった。青ノ山には古墳群が,社殿の裏と傍らには巨石がある。社伝では宇夫志奈大神と称して古くから津野郷に鎮座し,武殻王(景行天皇皇孫)が阿野(あや)・鵜足(うた)2郡を船で巡視の途中遭難した時に,宇夫志奈大神を祈念すると小烏が現れて難を救ったという。その故事にちなみ小烏神と称した。一方「全讃史」は小烏大明神の項に同様のことを載せ,小烏のとどまった泊島に祠を建ててこれを祀り,宇多津には遥拝所を建て,のちに現在地に遷座したという。また「讃岐国名勝図会」は「末包家記」を引用し,藤原鎌足の流れを引く津野郷の長者末包和直が大同元年に創祀し,同2年現在地に遷座したとする。貞観6年10月15日「宇夫志奈神」を正六位上から従五位下に昇叙(三代実録),寛平3年9月24日には従五位上になった(日本紀略)。文永2年亀山天皇の勅願所となり,「宇夫階大明神」の勅額が奉納されたと伝える。永禄11年の地震で社殿は破損したが,天正年間生駒氏が再興した。「寺社記」によれば,元和年間に生駒正俊が社領として1石1升余を寄進している(新編香川叢書)。近世には大山祇命・大己貴命・塩堆翁を相殿に祀っていた(讃岐国名勝図会)。宇多津をはじめ,土器・川津・坂本4か村の産土神。同書の引く「末包家記」によると,寛文8年公命によって神宮寺を別当としたという。神宮寺は東瑞山蓮花院と号し,十一面観音を本尊としていた。文和年間沙門宥賢の開創だが,明治維新で廃寺となった(同前)。神宮寺の仏像・仏具・経巻は本寺聖通寺(宇多津町,真言宗御室派)へ移された。なお,貞治2年9月28日には,宇多津の「宇夫階観喜寺」に土器保四所職を安堵した細川頼之の書下がある(京都大学所蔵斑島文書)が,関連は未詳。明治5年郷社に列し,同27年県社に昇格。昭和48年に社殿が焼失したが,再興にあたり,伊勢神宮外宮第1別宮多賀宮の旧正殿古材を用いたので,同52年豊受大神を鎮祭合祀した。例祭は10月22日。10月10日には初白祭が,陰暦7月1日には早祓祭が行われる。伝亀山天皇奉納扁額・文化7年森狙仙筆の駒曳猿額などがある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7197939