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大麻神社
【おおあさじんじゃ】


善通寺市大麻町上ノ村山にある神社。延喜式内社。旧県社。忌部氏の祖神天太玉命を祀り,天津彦彦火瓊瓊杵尊・供奉三十一神を相殿に祀る。象頭山に続く大麻山の東麓にあり,付近には磐座や古墳が集中している。社伝によれば,讃岐国忌部氏は阿波国の忌部氏と協力して麻を栽培したのが,当社名の由来という。「古語拾遺」には,讃岐忌部氏について,矛竿をつくり,調庸のほか800竿を貢納して朝廷の祭祀と深くかかわっていたことが記されているが,当社との関係は未詳。社伝ではまた,景行天皇の時に南海の悪魚を退治した神櫛王が,当地にいた穂積忍山彦根に社殿を造らせて大麻神を祀り,忍山彦根の子孫鵜麿が瓊瓊杵尊および供奉三十一神の神像を造って相殿に祀ったという(西讃府志)。現宮司白玖氏の祖先が忍山彦根といわれ,境内に祖霊社がある。貞観7年10月9日従五位下大麻神は従五位上に列し(三代実録),「日本紀略」延喜10年8月23日条には「讃岐国大麻天神」を従四位下に昇階するとある。その後,社伝によれば永徳元年に正一位になったとする。「朝野群載」所収の承暦4年6月10日付神祇官奏には大麻神,天喜4年12月5日付讃岐国善通寺田畠地子支配状案には大麻大明神(東寺百合文書/新編香川叢書),嘉元4年6月12日付昭慶門院御領目録案には大麻社と見える(竹内文平氏旧蔵文書)。その後の沿革は未詳。江戸期には「社林一町五反,神田二十五歩」と少なく,このころまでには衰退していた(西讃府志)。社僧は誕生院で,善通寺とも関係があったと思われる。丸亀城主京極氏の崇敬は篤く,初代高和は社殿を再興したといわれる。「仲多度郡史」には,昔の社地は20間ばかり南方にあり,傍らに阿麻水井・加良水井があったとの古伝が見える。明治5年郷社に列し,昭和8年県社に昇格した。社宝のうち,祭神天太玉命と彦火瓊瓊杵尊の木造坐像は,ともに藤原期の作品で国重文。ほかに木鉾・狛犬一対・獅子頭等がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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