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大川神社
【おおかわじんじゃ】


仲多度郡琴南(ことなみ)町美合中通野にある神社。旧郷社。祭神は木華開耶姫命・磐長姫命・大山祇命・甕速日命。大川大権現ともいい,「だいせんじんじゃ」ともよむ。阿讃山脈(讃岐山脈)第2峰1,043mの大川山頂に鎮座し,南には徳島県の三野町が広がっている。霊峰であり,役小角の創建ともいう。社伝では,天平4年の大旱魃時に讃岐国司平群朝臣豊麻呂が奉幣して雨を祈ると霊験著しく,以後,祈雨の神として民衆・国司に崇敬されたという。大旱魃の時は,阿・讃両国の人々が社前で鉦鼓に合わせて踊る雨乞の風習が残る。応安年間,中讃の豪族長尾氏が社殿を修築し,近世では,国主生駒一正・高俊が再建した(讃岐国名勝図会)。寛永5年高俊は祈雨の道具として,「中通村大川権現」に鉦鼓35組を寄進。銘には,疋田右近大夫・三野四郎左衛門・浅田右京進・西島八兵衛・尾池玄蕃ら「国奉行」の名が見える。承応年間高松藩主松平頼重は社殿を修築し,祭田10石を寄進した。一度焼失後,寛文12年に頼重が再築し,元禄12年2代頼常が修築する。宝永6年火災に遭い,3代頼豊が再建する。高俊寄進の鉦鼓や天明2年棟札ほかを社宝とする。「讃岐国名勝図会」には,「社は南に向ふ,社前には小池あり。往古天台宗の寺あり。大旱には土人集まり,鐘をならして雨を乞ふに霊応あり。寺は今廃せり」とある。境内神社に,天平4年奉斎という水分神社がある。寛保元年高松藩主5代頼恭は念仏踊り御幣料米8斗を奉納している。また,木華開耶姫命にちなみ安産の神としても,崇敬を集めていた。明治12年郷社に列する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198011