香川県
【かがわけん】

(近代)明治初期~現在の県名。明治4年11月15日~同6年2月20日,同8年9月5日~同9年8月21日,同21年12月3日~現在。明治4年11月15日全国府県の大幅な整理統合(3府72県制)に伴って,高松県と丸亀県が合併し,いわゆる第1次の香川県が設置された。同5年1月25日には津山県から北条県に引き継がれていた小豆(しようど)島西部6か村が当県に統合される。県庁は高松内町の旧藩主邸に置かれ,丸亀にその出張所が設けられた。参事は林茂平,ついで中村貫一,同5年11月からは林茂平が権令として統治する。明治4年7月26日には高松市街に戸長・副戸長の配置法が,同年12月24日には郡部地域にも区戸長配置法が定められ,翌5年5月3日戸長職掌大概13か条が布達された。この時88区制(区画編成法)を定め,大内(おおち)郡は第1~5区,寒川(さんがわ)郡は第6~12区,三木郡は第13~16区,山田郡は第17~22区,小豆(しようど)島(明治11年以降小豆(しようず)郡)は第23~29区,香川郡は第30~42区(直島・女木島・男木島は香川郡第42区に編入),阿野(あや)郡は第43~50区,鵜足(うた)郡は第51~56区,那珂郡は第57~65区(塩飽(しわく)諸島は那珂郡第65区に編入),多度郡は第66~69区,三野(みの)郡は第70~79区,豊田郡は第80~88区に配した。第1次香川県は同6年2月20日に廃されて名東(みようとう)県(第1次徳島県の後身)に統合され,同8年9月5日讃岐国関係地を名東県から分離して,いわゆる第2次の香川県(再置香川県ともいう)を設置した。権令は,はじめ古賀定雄,次に新田義雄,権参事には梶山鼎介が任命された。香川県の再置に伴い,地方行政区画は,同8年9月25日大内郡を第1大区,以下順に豊田郡の第12大区までとした。第1大区の戸数6,791・人口3万1,595・反別1,544町余,第2大区の戸数9,517・人口4万4,318・反別2,327町余,第3大区の戸数5,209・人口2万4,590・反別1,835町余,第4大区の戸数8,120・人口3万8,057・反別3,038町余,第5大区の戸数8,679・人口3万9,860・反別1,474町余,第6大区の戸数2万4,696・人口11万702・反別4,374町余,第7大区の戸数1万699・人口5万1,623,第8大区の戸数8,761・人口3万8,831・反別2,932町余,第9大区の戸数1万6,395・人口6万8,037・反別2,988町余,第10大区の戸数5,233・人口2万4,782・反別1,606町余,第11大区の戸数1万3,092・人口6万834・反別3,844町余,第12大区の戸数1万2,084・人口5万8,355・反別2,931町余。戸数合計12万9,276・総人口59万1,584(梶山家文書)。同9年8月1日区画編成法を改正して県内を12大区から7大区に統合。すなわち香川郡を第1大区1~9小区,阿野・鵜足郡を第2大区1~11小区,那珂・多度郡を第3大区1~9小区,三野・豊田郡を第4大区1~10小区,山田・三木郡を第5大区1~7小区,大内・寒川郡を第6大区1~7小区,小豆島を第7大区1~3小区に改編した。しかし同年8月21日再び香川県は廃されて愛媛県に統合される。同15年中頃から活発になった予讃分県運動は同18年頃高揚するが,中央政府はいったんこれを黙殺する。しかし府県制布告を前にして,分県の機会はこれを最後とみなした政府は,同21年12月3日いわゆる第3次の香川県設置を認めた。これが現在に至る香川県の成立である。同21年の戸数13万6,877・人口66万5,036(男33万9,052・女32万5,984),面積1,776km(^2)(115方里),行政区画は12郡・83町・407か村。初代知事は林董。同32年7月には郡制の施行により7郡に統合される。この年市町村数は2市・11町・169か村,戸数13万759・人口68万7,769(県統計書)。大正9年の世帯数14万5,252・人口67万7,852,市町村数は2市・16町・160か村。昭和35年の世帯数20万1,986・人口91万8,867。平成12年の世帯数37万5,751・人口103万4,554。現在は町村合併の結果5市38町に統合されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7198127 |