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亀山公園
【かめやまこうえん】


丸亀市一番丁にある市立公園。面積22.8ha。標高66.6mの亀山を中心にした丸亀城跡一帯をいう。内濠で囲まれ,そのうち東西475m,南北356mの範囲は国史跡。亀山は安山岩が地中から噴き出した岩頸であり,形が円い亀に似ているので丸亀城と呼ばれたという。城は慶長2年高松城主生駒親正により西讃の拠点として築造された支城で,元和元年一国一城令で廃城となった。生駒家が出羽へ移封されてから讃岐は二分割され,東讃は松平家12万石の高松藩,西讃は5万石余の丸亀藩となり,寛永18年肥前国天草から山崎家治が入り,丸亀城を再建した。山崎家も3代17年で終わり,万治元年播磨の竜野から京極家が移り,明治維新まで7代210年間続いた。城郭は山崎家から京極2代藩主高豊の時までに完成し,大手門も初期は南にあったものを北の現位置に改め,規模雄大な升形をつくった。また,山頂の天守閣までは螺旋状の登り道をつくり,要所要所に建物を配置して10万石大名の城にも匹敵する名城といわれた。特に三層の石垣は扇形もしくは三日月形などといわれ,美しい勾配をもち堅牢である。石垣の高さは平均三の丸石垣が21.6m,二の丸が11.7m,本丸が13.5mという。明治初期に天守閣・大手門・御殿門のほかはほとんど壊され,大手前とともに陸軍第12連隊の駐屯地となった。大正8年5代市長桶口徳太郎の運動の結果,丸亀城の一部が公園として開放されることとなり,亀山公園と命名された。同年11月には迎賓館として延寿閣が園内に落成した。これは通町にあった旧藩主の別邸の名をとったもので,京極家や松平家の寄付をもとに完成した。また丸亀卸商組合によりサクラが植えられ,サクラの名所となり,現在の4月1日からの桜祭りのもととなった。大正15年国から払い下げられ,昭和20年には城跡全体が市民に開放された。昭和25年天守閣(国重文)の解体修理と夜間照明の設置,同32年大手門が新しく国重文に指定され,同38年大手門の解体修理,同43年表門・番所・長屋・土塀などの修復がそれぞれ完了した。園内には市立図書館・資料館・野球場・プール・遊園地・動物園などがあり,市民の憩いの場となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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